ヤれない事情

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 そこは先週、鰹のタタキを食べにやってきた部屋だった。今は照明が消えていて、ベッドサイドの窓からオレンジ色の暁光が、斜めにさしていた。  優人はなにかに恐れるようにゆっくりと目を動かして、部屋の主をさがした。居間のすみ、キッチンとの境目の部分に正座している四角い背中が見える。  いつものワイシャツ姿だ。ズボンだけは部屋着に着替えていて、その中途半端な格好のまま、台所のほうをむいてきっちりと両手を腿のところにおいて正座している。  首がほんの少し前に倒れていて、まるで独房で懲罰を受けている囚人のような姿勢だった。  声をかけたい。優人はそれを反射的に我慢する。なにをいえばいいのかわからない。喉の奥は焼けるように痛んでいる。  ふりむいて誠一郎が笑ってくれたらいい。いつものように爽やかな顔で、それで少し困ったように微笑んでくれたらいい。しかし、そんなことを望む資格が今の自分にあるのだろうか。  心がきしむ。途方に暮れる。どうしたらいいのかわからない。 「……帰ってきた」  事実だけをぽつんといった。  はじかれたように誠一郎が立ちあがった。恐い先生に号令をかけられた生徒のようだった。
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