プロローグ

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三十歳を迎えることを転機と考えた彼は、最近まで交際していた彼女に求婚することを決意した。これまでの人生で、必死になったことのない彼からすれば、一世一代の大勝負だったのは間違いない。何せ勉学や部活でも本気で取り組んだことがない彼は、能天気で無気力な人間だった。 彼が夢中になったのは、ゲームや読書に映画鑑賞といったインドア系の趣味だけである。特にゲームに費やした時間は長く、中々の腕前を持っていた。 三十代になれば落ち着いた大人になっていると思っていたようだが、彼の精神年齢は中高生の時代からさほど成長していなかったようだ。 そのせいもあってか、彼の一世一代の大勝負は失敗に終わってしまう。 用済みになった婚約指輪を質屋に売り飛ばし、そのお金で能天気にも海外旅行へ行くことにした。訪れた旅行代理店でノリの軽い感じの女性店員に、「最近~人拐いなどの激ヤバな事件が多いみたいなんでぇ~夜間外出禁止らしいんですけど~。大丈夫ですかぁ~?」と馬鹿にされた感じに説明を受けたが、気にせず承諾し旅行を予約したのだ。 それが己の生死を分ける選択だったとも知らずに。 彼は初めての海外旅行で浮かれていたのだろう。注意を受けたにも関わらず、泥酔状態で夜の街へと繰り出した。 「まさか自分が」という思いがあったに違いない。 そんな時に限って悪いことは起こりうるものだ。 彼は路地裏に入った所で、外国人に声をかけられてしまう。教養の足りない彼には相手の言葉が全く理解できず、知っている言葉で有耶無耶にしようとしている時であった。彼は背後から鈍器のようなもので殴られ意識を失ってしまう。 それから今の状況に至ったわけだ。 「フー、フー、フー……」 (お、落ち着け……俺。痛みを感じるってことは、これは夢じゃないんだよな?) 暴れ疲れた彼は少し大人しくなっていたが、興奮状態が鎮まることはなく、首を動かし部屋中を観察していた。どうやら頭部もベルトのようなもので台に固定されているので、首を上げて足元を確認することはできないようだ。だが首を左右に振ることは可能らしい。 (とりあえず辺りを確認して、脱出する方法を考えないと) そう考えた直後であった。 彼が拘束されている部屋の扉が開いたかと思うと、何者かが部屋に入ってきたのだ。 侵入者は手術を行う医者のような格好をした男だ。クーラーボックスを肩にかけ、手術帽子を被る頭にはヘッドライトを取り付けている。拘束されている彼は、酒でほんやりした視界な上に部屋が薄暗いのもあってか、入ってきた男の顔がはっきりと確認できないようだ。
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