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「あちゃあ、フォアボールだ。ワンアウトランナー、一、三塁ですよ」 満員の甲子園球場、八回裏阪神タイガースの攻撃、二対二の同点、伝統の巨人阪神戦は最大の山場を迎えていた。 今どき時代錯誤のナショナル製ブラウン管テレビがバチバチと乾いた音を立てながら白熱した試合を放じている。六月の迸る熱気が、画面を伝ってきそうだ。 「なに残念がってんねん。なんや、お前、読売応援しとるんか」 横浜野毛の居酒屋「虎次郎」で野球中継を見ながら管を巻くのは、安徳工機人事部に在籍する掛布茂雄と、同じく人事部で部長を務める「人事部のジョー」こと城山丈一郎。二人は顔を赤らめながら画面に向かって関西弁で罵った。 マウンド上は杉内。球数は既に百球を超え、ゼェゼェと肩で呼吸をしている様相だ。 「そろそろ代えますかね、杉内」 掛布が云うと、画面はブルペンへと移り、控え投手が肩を温めるシーンが映された。右の澤村、左の山口が、小気味よく速球を投じている。 再び映像がグラウンドに切り替わると、原監督が腰に手を当てながらマウンドまで歩み寄り、なにやら手を拱いて野手陣を集めた。それを見て、守備についていた野手達が駆け足で原監督のもとに集まる。 ジョーは珍しそうなものを見るように、テーブルに肘をついて目を細め、テレビ画面に集中した。 「いや、違う。奇襲や」 ジョーが声を荒げると、中堅手の守備についていた亀井も、原監督のいるピッチャーマウンドまで駆け寄ったのだ。 「内野だけやのうて、外野も集めとるぞ。ほれ、亀井や」 「珍しいな、奇策かいな」 物々しい気配を感じ取り、掛布は画面に吸い込まれるようにその大柄な体躯を乗り出した。 亀井は、そのまま内野に残ると、ちょうどセカンドベース上に立ち止まった。 その分、ショート坂本はサード寄りに、そして瞬足で守備範囲の広いセカンド片岡が僅かにファースト寄りに構えると、内野五人シフトが完成したのである。 「はあ、アメリカ人気取りか」 ジョーは巨人サイドの策略を理解すると、溜息をついて仰け反った。 原監督の作戦はこうだ。 打球が内野に飛べばボールバック、追加点を与えぬよう、本塁で確実に殺そうという魂胆だが、誰もいないセンターに打球が飛べば忽ち長打になる。ピンチの場面での極端なシフトは博打にも思われた。
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