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「違う、誰も怒っとらん、さっきお前が言った言葉が気にかかったのだ」 掛布は、ジョーの言う意味が解せず首を傾げた。 「原監督がアホ言うたことですか」 「そうや」 ジョーはビールを一口つけると、改まった様子で語調を変え、次のように語った。 「原監督はアホやない、名将や。リスクを賭けて思い切った攻めに出た。偶々、結果は裏目にでたが、これは次に繋がる失敗だ、可能性を開拓している。ピンチの中でなんもせんで黙って眺めてみている監督より、自らの保身を捨て、大胆な行動に出た原監督は幾分マシや。イチかバチかの場面で、失敗したら全て自分の責任になるのを承知で、このような奇襲に出たことを、選手たちは誇らしく思うだろう」 そんなことか、と掛布は適当に流して聞いたが、酒に酔うと説教癖のあるジョーは止まらずに続けた。 「巨人という常勝球団を率いて、負ければ批判が殺到する中、原監督はうまく立ち振る舞っている。実際、原監督の任期中の成績は頗る高く、毎年Aクラス入りしているし、一方で若手の育成にも力を入れている。原監督、そして原さんを監督に任命したフロント陣は優秀だ」 八回裏の阪神の攻撃が終わり、先発の能見に代わり抑えの呉昇桓がピッチング練習を始めると、球場は安心からか一旦、静まりをみせた。 ザワザワと鳴る観声の中、スパン、スパンと小気味よく百五十キロのストレートがミットに突き刺さる音が響いた。 「野球も経営も同じや。採用をかけるときは社内でドラフト会議が開かれるし、必死に社員の分析をするもんや。仕事は三遊間を作ってはいけないし、適材適所に人材をポジショニングすることも重要、幼い頃からエースとして持て囃されて育ったピッチャーは、優秀だが自己顕示欲が強く、監督として扱いも気を付けるし、頭の切れる奴は捕手に置くし、また一方で、個人としての成績が悪くても指導者として優秀な奴もおる」 掛布は胡瓜と蕪の糠漬けをつまみにビールを流し込んだ。 ブラウン管の中では、さきほど好返球をみせた亀井のバッドが、呉の低めの変化球に空を切った。 「ピンチの時の采配は勝敗に物言わす。第七十八回夏の甲子園大会の松山商業の奇跡のバックホーム、あれは名将澤田監督が、もともと捕手で強肩の矢野を右翼に置き、ライト方向の浜風が打球を押し戻すことを想定するなど、入念な下調べから成し得た業や、単なるまぐれやない」
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