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間違いない、この感覚は、下痢である。
白鳥は、自身の腹鳴りを、東アフリカ特有種の黒襟雉鳩の鳴声と聞き違いし、さらに自らの放屁音で目を覚ましたのである。
黒襟雉鳩の囀りを交えたエキゾチックなアフリカ初夜は一変、急激な便意とともに悪夢に襲われた。
思えば昨夜、腹の調子が悪い時は、敢えて暴飲暴食した方が胃腸の内容物が巡回して回復が早い、という金子の言葉を信じ、その後、調子に乗って中華料理三人前を口にしたのが大きな仇となり、猛烈な腹痛に襲われたのだ。
白鳥の脳裏には、こちらに向かって爪を上げる上海蟹の大群が蘇った。
見ず知らずの国にきて海産物を口にするなど、胃腸の弱い白鳥にとって自殺行為に等しかった。
白鳥は、たとえ信頼のある人間であっても、他人の言うことを易々と鵜呑みにするのは愚かである、と後悔の念に駆られたが、時既に遅し、糞便は既に尻穴から頭を覗かせている。
必死に腹部を抑えて便意の波が過ぎ去るのを待ったが、意に反して下腹部からは轟音が鳴り続き、このままでは真新しいベッドの中で糞便を撒き散らしてしまい兼ねないと思い、便所に行くことを決めた。
「すみません、ちょっといいですか」
白鳥は、蝶番の施錠を外すと、部屋の扉を開け、外にいた警備員に声をかけた。
ホテルには、盗難防止のため、二十四時間体制で警備員が張っている。社員を捨て駒程度にしか考えていない安徳工機でも、さすがに殉職してしまうと会社側の管理責任が問われるため、生かさず殺さずの必要最低限の安全は確保していた。
「なんだ? こんな夜中に」
驚いたことに、ここの警備員の名前も、アッブブといった。
エチオピアは、国民の六割がキリスト教であり、次いでイスラムと続く。そのため、聖書上の登場人物の名前をそのまま引用することが多く、名前が被ることは珍しくない。
しかし、こっちのアッブブは、ガイドのアッブブと違って、些か愛想がなく、白鳥が話しかけると、面倒な者を見るような目付きでいった。
「夜間の外出は禁止されているはずだが」
「申し訳ありません、急な腹鳴りがして、用便に行きたいのですが」
「用便? 我慢しろ、大人だろう」
「いえ、我慢の限界で、既に身が出ています」
アッブブはひとつ舌打ちをすると、
「大か、小か?」
と問うた。
三年間の過酷な工場実習の中で、トイレに行くために、わざわざ他人に申告しなければならない慣習にも慣れた。
「うんこです」
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