冬樹と夏樹

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一方の机に歩み寄り、横に置かれている赤いランドセルを両手に取る。 これは昔、自分が使っていたものだった。 それは何だか懐かしい感触で、けれど今の自分の手には妙に小さく感じられた。 暑さで少し汗ばんだ(てのひら)にぴったりと吸い付いてくるようだ。 思わず懐かしさに浸っていると、不意に遠くで人の声がしたような気がして、ふと我に返る。 確かに微かだが人の声がする。 何を言っているのか聞き取ろうと耳を傾けながら、手に持っていたランドセルを元の位置に丁寧(ていねい)に戻した。 初めは(かす)かでしかなかったその声は、だんだんはっきりと耳に届いてきた。 どうやらこちらの方へ近付いて来るようだ。 そして、その声の主が誰なのかが分かったと同時に、初めて自分の名前が呼ばれているという事に気が付いた。 それは、自分が良く知っている…忘れる筈もない優しい声…。 …お母さん。
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