仮初

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「……あ、降り出した」 「早く、車へ」  ぽつりと大きな水滴が落ちた。暗く陰ったアスファルトに無数の染みをつくり、慌てて車に乗り込む。  あっという間に激しい水粒が車のボンネットを叩き始めた。車内から見える景色は真っ白だ。病院の建物すら見えない。 二人は雨が小降りになるのを待つことにした。 「うわ、雷まで鳴りだしたし。柾木サン雷は平気?」 「ええ、特に問題は。外を歩いている訳ではありませんし」 「ちっ、面白くねーの」  中年の自分が雷を怖がったとして、それはそんなに面白いことなんだろうか。  激しい雨音と雷で、世界から切り離されたような錯覚に陥る。窓から見えるのは、滝のように流れる雨水ばかりだ。  ハンドルに凭れ、じっと前を見ていた涼一郎が、口を開いた。 「ねえ柾木サン、俺の顔になんかついてる?」  違う。見惚れていたのだ。チラチラと盗み見るようにその横顔を見ていた。隠していたつもりが気付かれている。 「……あ、」  恥ずかしい。なにか言い訳をしなくては。柾木は口を開いた。何を言うつもりなのか、自分にも分からない。ただ、慌てた。  涼一郎が身を乗り出した。堪え切れないように、強く抱き竦められる。  あっと思った時には、顎を掬われ噛み付くように口を塞がれていた。 「ん、うっ……」  土砂降りの雨に遮断された小さな世界で、二人の息づかいだけが耳に残る。激しい感情が二人を捉え、互いを求め合う。  今なら誰に聞かれることもない。甘やかな吐息を漏らし、柾木は涼一郎に応えた。
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