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「わたしの友達の恋人がね。変な死にかたをしたのよね」
ジゴロなんて商売をしてると、必然的に女のとなりで目ざめる。
寝顔の美しい女。
そうでない女。
人には言えないクセのある女。
いろいろいるが、寝起きからワガママを言う女は、最悪だ。
それでいくと、後見人のジョスリーヌは、極悪なまでに最低最悪。昼間だってワガママなくせに、そのうえ、決まって寝起きに変なことを言いだす。
ワレスの忍耐力を試しているとしか思えない所業だ。
だまっていると、ジョスリーヌは勝手に話を続けた。
「友達というのは、学生時代のルームメイトよ。名前は、マルゴ。ル・シャール子爵家の末娘で、三年前に婚家と離縁したわ。今は独り身。祖母から受けついだ遺産で、きままに暮らしてるの」
世の中には、ジゴロを喜ばせるために存在する貴婦人の、なんと多いことか。
マルゴが起きぬけから、友人の恋人の変死話をする女でなければ、ぜひ懇意にしたい。
「それで退屈して、男をひろったってわけか? たのむから、もう少し寝かせてくれないか。あんた、寝る前に、夜明けの鐘の音をきいた記憶が消えてしまったんだろ? そのステキな寝ぐせの頭からさ」
窓辺の厚いカーテンのすきまから、さしこむ光は明るい。まだ朝のうちと言っていい時間だろう。全身に残るけだるさが、それを告げている。
いくらワレスが若くて体力があるからって、睡眠くらいは人並みにほしい。
寝たふりで、やりすごすべきだったろうか。
しかし、こういう、どうでもいい話を親身に聞いてやるのが、ジゴロの大事な仕事のひとつでもある。でなければ、女ってやつは、すぐに機嫌をそこねる。
そのあとの謝罪の労力を思えば、素直に受け入れるほうがいい。睡眠不足は、ジゴロのわかちがたい相棒だとでも思って。
「なぜまた、急に古なじみの話なんてしだしたんだ?」
豪奢な天蓋つきのベッドから手を伸ばし、ナイトテーブルに置かれた女物のきせるをとる。が、火がない。どうも、今日はついてない。あきらめて、きせるを置いた。
「ワレス。わたくしを何歳だと思ってるの? 古なじみだなんて言わないで」
おれより十も年上じゃないかと思う。が、もちろん、そこは沈黙を守る。
ジョスリーヌはワガママではあるが、ありがたい商売相手だ。当人が多情なので、こっちの浮気に口出ししない。しかも、なんといっても、大金持ちの女侯爵だ。
「あんたの怒った顔が見たかったんだよ。魅力的だからな」
ジョスリーヌは、心にもないお世辞を言うのね、という顔をした。が、まあ、いいでしょうと、寛容な目つきになる。自分が折れなければ話が進まないと、気づいたのかもしれない。
「学生時代の夢を見たのよ。そしたら、心配になってしまって。あなた、さっき、マルゴが出戻って退屈だから、相手を探したと言ったわね。それは違うわ。恋人が死んだのは、マルゴがまだ伯爵夫人だったころよ」
「つまり、間男したので、婚家に縁を切られたのか」
「安っぽい言いかただけど、そう」
「悪いね。はきだめ育ちで」
「でも、あなたは頭がいい。わたしと違って、優秀な成績で帝立学校を卒業してるもの。わたしはお勉強は大キライだったけど。でも、学校生活は楽しかったわ。ねえ、ワレス。わたしのお願い、聞いてくれない?」
ワレスは薄笑いを浮かべた。
「お願いなんてしなくても、命令すればいいだろう? あんたは女王さまだ。おれには逆らえない」
もっと簡潔に言えば、ワレスはジョスに金で買われた身だから。
ダンスホールで、相手を探す貴婦人を待つ、容姿の美しい男たちの仲間入りをして、すでに五年。十七のときから、ワレスは、この生活をしていた。
ブロンドの巻き毛と、鋭利な剣を思わせる青い瞳が、ワレスにその暮らしをゆるしていた。
ワレスを生んだユイラ皇帝国は、優雅な体つきと白磁のような肌の、世界でもまれに見る美形の多い単一民族国家だ。
だが、ワレスは、ただキレイな青年というだけではない。どこかにネコ科の大型獣のような危険性を秘めている。やさしい顔で笑っていても、近寄りがたい何かがある。
ワレスの言動の端々には、貪欲なまでの生への執着と、うらはらに空虚な退廃を感じさせる瞬間がある。
本人は自身の生い立ちについて、多くを語らない。
が、一風変わった生きかたをしてきたことは、たしかなようだ。
その片鱗が、いつも薄暗い影のように、美しい姿から、にじみだしている。
ワレス自身は、意識してそうしているわけではない。
しかし、そういうところが、ふつうの遊びに飽きた貴婦人には、たまらない魅力のようだ。
ふれてはいけないとわかっているものに、ふれたくなる気持ち。
それは野生の肉食獣に追いつめられていく、エモノの気持ちだろうか。
もっとも、この獣はなかなか巧みな嘘をつく。
ときには無害な羊であるかのように、自分を偽装する。
そのせいだろうか?
ジョスリーヌは、ワレスの言葉を曲解した。
とつぜん、さわやかな笑顔になって、ワレスの頭をかかえこむ。
「今日はずいぶん、すねてるのね。女友達の話ばかりしたからなの? かわいい坊やね」
女というのはどうしてみんな、とつぜん母性に目ざめたように、年下の愛人を坊や呼ばわりするのだろうか。おれがそういうタイプの男ではないと、百も承知だろうに。
とは考えつつ、そこは女の胸に顔をうずめておく。
だから、くわしい話を聞いたのは、それから、たっぷり一刻もたってからだ。
不幸な女友達の恋人の変死について——
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