被害妄執

1/38
14人が本棚に入れています
本棚に追加
/39ページ

被害妄執

 親友の明子が、狂った。前触れもなく、昨日、映画を見に行こうと約束し、別れたところまでは普通だったにもかかわらず。  尤も「狂った」という言葉から、およそひとが連想する様な激しいものではない。ただ、今目の前に立つ明子と昨日までの明子、そして明子の言動を合わせて、それ以外に形容する言葉が見つからなかった。 「なんだか、殺されるような気がしたの」  そう明子は言った。真っすぐに奈緒を見つめる目は、声音と同じく至極真面目だった。  奈緒ははじめ、何を言っているのだろう、そう思った。視線を明子の目から、明子の服装へと移した。明子は冬物のコートに、マフラーをまいている。明子が、時折縛る様に巻きなおすマフラーの隙間から見えた首は、タートルネックのセーターで覆われている。  季節は、桜の葉が青々としてきていた。日差しは、春の面影を忘れさせるほどに暑い。  当然だが、マフラーとセーターから飛び出した顔は、汗に濡れそぼり、蒸気がもうもうと立ち上らんばかりだった。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!