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「すぐに楽になる」
冷静沈着な男の声がした。聞き慣れた声のはずなのに、なんだかうまく声を把握できない。僕は手で触って、耳からも血のような液体を流していることに気づいた。かろうじて見上げてみても、頭から流れてきた血が目に入って、声の主の顔は分からなかった。
「詩織が殺されたのも、君の母さんが殺されたのも、二つとも君の隠された願望のせいなんだ」
男は僕の上に馬乗りになった。
「そうじゃなかったら、論理的に考えてこんなことにはならないだろう?」
男が左手に持っている鋭いナイフ。目の前にかざされて、それだけが強い光の反射のせいでよく見えた。母さんも詩織も、このナイフで殺されたのだろうか。
「ハジメ、僕だって色々悩んだんだ。どうすることが最善なのか、そのための僕の役割とはなにか、とかね。でも、あまりに長い間そんなことばかり考えていたら、いつしかすべてがどうでもよくなってきた。どうやってもどうも上手くいかない。そう分かった時、僕は自由になったんだ。ショーペンハウアーって知ってるか? 諦めるってことはすべてが明らかになるってことなんだ。ほんとうの真実の道が開けたんだよ。自由な人間は、自分の意志で自分だけの物語を作ることができる。ハジメにはなにを言っているのかよく分からないと思うけど、この物語のラストと新しいスタートは、僕の手で作らせてもらうよ」
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