標本八「詩」より「キングゲーム」

1/1
前へ
/7ページ
次へ

標本八「詩」より「キングゲーム」

◆「キングゲーム」 小さく縮こまっていた灰鼠のようだった君が、都会のサバンナでたてがみゆらす孤高のハイエナになっていて、君はそのままたくさんの希望や経験やその胸に向けられる愛などのすてきなキラキラを集めていつか王者・ライオンになるのだ。 育ちきったのびのびとした体躯と、明瞭な声は、自信に満ち溢れて存在感もある。胸ポケットに差された白ハンカチが、君の今のステータスを証左している。 でも私は十四の頃から君を知っているから、乾いた上目遣いで他人を貧しく批判する瞳や、萎縮してふいにひっくり返る弱々しい高い声、限りある命を摩耗させて苦しむ、君の魂を知ってる。 自信がなくても経歴がなくても、この先何かを成し得てみせるとでも言いたげな強い、素逆を君は、べったりと粘着の洛陽のなか進んで行く。 だから今後たとえ君のことをどれだけ愛し許し人生を捧ぐだれかが現れても、その者は私の知っている彼を見ることができないのだ。美しく凛々しい、舞台俳優のような彼しか知らなくて、デビュー前の貧しく嫌われがちで、そして私を愛していたころの彼を知らない。それって彼のこと、ほんとうにほんとうを知っているといえるの?彼の、ガムが黒く固まったようにしつこい粘り気ある瞳や、ひび割れた唇からこぼれ出る震えた声を知らずして、彼の何を知ってるの。私だって十四より前の、そして二十三より先の彼を、知らないけど。でも、彼の過去の苦しみ、そして今もきっと水面下で、彼の足の裏にぴったりと張り付いているであろう影のなかに潜む、深海の哀しさを知ってる。 そして、そのことがただ私の小さなプライドを助ける。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加