第十章

12/26
前へ
/26ページ
次へ
「遅かったわね」 挨拶の合間を見計らったように香子が声をかけてきた。 「打ち合わせが長引いたって?」 「どうしてそれを?」 「森田君に聞いたのよ」 香子は「お疲れさま」とワインのグラスを僕に手渡した。 グラスに口をつけようとして、何となく止める。 少し考えてからそのままグラスを持つ手を下ろした僕に、香子が怪訝そうな顔をした。 「飲まないの?……あ、白の方がよかった?」 「いや。赤でいいよ」 僕の好みを知っている香子のチョイスは間違っていない。 でも今は“痒いところに手が届く”それを心地よく感じない。 僕が飲まないのは、ワインや酒の種類が理由ではなかった。 このあとの、ほんのわずかな可能性を頭に描いてしまったからだ。 江藤奈都が僕のところに来るという、可能性というより願望に近いものを。 それが1%にも満たないわずかな可能性であっても、備えることを放棄する気になれなかった。 それが自分でも歯痒い。
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1795人が本棚に入れています
本棚に追加