奇跡か、幻か

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しかし、セミナーが始まっても僕は辛抱してパソコンを打ち続けていたが、しだいに集中力が散漫になってきた。 あと三十分ほどで閉会か……。 刻々と閉会時間は迫ってくる。 猛然と仕事しては時刻を見る、というのを数回繰り返した末、ついに僕は立ち上がった。 表情を見れば、元気かどうかはだいたいわかる。 さっさと見れば、それで僕の気は済むだろう。 上昇するエレベーターの中で言い訳がましく考えた。 他人に仕事を委ねるのはある程度割りきったものだが、生き物を委ねるのは厄介なものだなと。 育て仔が十分な待遇を受けているか幸せでいるかどうか、気が気でないのだ。 セミナーホールの後部スタッフドアから静かに会場入りする。 すぐに僕に気づいた森田に頷いてから、最後列に腰を下ろした。 講演は終盤に差し掛かっていて、いつかの誰かのように船を漕ぐ者は皆無だ。 安堵の中に少しの物足りなさと懐かしさが入り交じった気分で聴衆の中に彼女の姿を探していた僕の視線は、ある人物で止まった。 あれは、東条……? それは確かに東条だった。 隣に彼女の姿はない。
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