5人が本棚に入れています
本棚に追加
男は「108-b」を部屋番号ではないかと推測したが、そもそも108階というフロアそのものが存在しなかった。それならばと50階建ての最下層までエレベーターで向かったものの、そこで分厚い扉が開いた瞬間、足元に突如なにやら液体が流れ込んできた。
水だった。吹き抜けの底、上階と比べて壁面の光は遥かに弱く、輪をかけて気温が下がっている。くるぶしの高さまで上がってきた水はほとんど氷のように肌を刺す。男がそのあまりの冷たさに思わず息が出来ないでいると、ふと視界の端に弱い光が映り込んだ。我にかえってそろそろと水を跳ね上げて音を立てないようにエレベーターから出ると、フロアの中央に何やら光源があるのが見えた。男はそちらへと近付く。どこからか湧き出す水の底に、何やら青白く輝く小さな光が沈んでいるのが見えた。それが何か確かめるために屈んだ、その時だった。
「それに触るな、若造」
突如背後から声をかけられた。男は反射的に腰の刀に手を伸ばし、それを引き抜きつつ飛び上がるように振り返る。エレベーターのすぐ横の壁面、逆光の中、何者かの影がそこに浮かび上がっていた。
「『向こう側』に連れていかれるぞ、特にお前のような警戒心の薄い奴はな」
やや間を空け、身動ぎもせずに口を開く。
「俺の写し身がここにいると聞いたのだが」
「…ほう、」
壁際から影が動く。男は刃の先を立て、少しずつ後ずさりした。
「そうか、そうか」
初老の男だった。180㎝はあろうか、男より頭1つ頭ほど背が高く、体格が良かった。大きなぼろ布のようなものを全身に羽織っている。髭に覆われた顔から表情は読めないが、瞳が光を反射してきらきらと子供のそれのように輝いていた。
「奪われた物を取り返しに来たのだな」
最初のコメントを投稿しよう!