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直接伝えられないことを詫びながら、彼は口にする。その響きはとても優しく、自然と私も声を弾ませてしまう。賢治はどこに連れていってくれるのだろう。都内なら、やはり銀座だろうか。
「今度の日曜日、どうしても空けといてほしい」
「わかった」
中間テストがあるこの時期は会えない日が続いていたが、今日は笑顔のままおやすみが言えた。
電話を切ると、途端にがらんとした闇が部屋中に広がる。電気が点いていたとしても、そこにひとりきりならそれは私にとって立派な闇だった。白か黒かなんて関係ない。
集団の中に一人でいることにはそれほどの抵抗がない。しかし一人で暮らすとは、自分で常に生を選択し続けなくてはならないことだと思う。別に誰かに頼まれて生きているわけではないのだから、今すぐ死を選択しても誰も私を責められない。実際、ここで私が自分を包丁で刺したら、誰にも見つかることなく出血多量で死ねるだろう。ひとり暮らしをしている限り、誰からも止められることもなく簡単に。
ところが、今日も私は食事を取り、入浴を済ませ、おまけに恋人と電話までしてしまっている。このまま寝てしまえば、健全な一日を生きていると言える。積極的とは言えなくても、生きることを一人で選んでいる。けれども、いつまでその選択を繰り返せられるのだろう。
小さい頃は、部屋に夜一人でいることが今とは比べものにならないほど怖くて仕方なかった。その闇を持て余して、街の光の中に飛び込んでみたいと思ったことは何度もある。けれどもそうしなかったのは夢があったからだ。
日差しのもとで、笑顔を向けてくれる「先生」。先生に会いたくて、眠れない夜も目を閉じることに専念した。昼間に学校に行かなければ、先生には会えない。もちろん明け方まで起きていたせいで、高校でも単位を取りこぼしそうになったこともあったけど、私が夜の世界に溶けなかった理由はただそれだけだ。高校を卒業し、毎日会いたい存在を失ってから、今度は自分がその「先生」になろうと決めた。院の卒業と同時に、先生と同じ国語科の教員として採用された。
【残り15ページあります。 5/7 文フリ東京にて100円で頒布】
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