ひとつ

2/5
前へ
/8ページ
次へ
「祝言?」  宿の裏手にある井戸。  そこで飯炊き女に混じって大鍋を洗っていた八月は、聞こえてきた噂話に顔を上げた。    柔らかな日差しに、玲瓏とした美貌が映える。  卵型のかんばせは可憐で、やや切れ長の瞳が楚々とした色気を滲ませ。  艶やかな黒髪は重たげに華奢な肩を覆い。  豊かな胸元を地味な旅装で隠した姿は、それが故により妖艶さを増して人目を惹きつける。  こんな田舎では、滅多にお目にかかれぬ美女であった。  思わずうっとりとした吐息を漏らし、八月の美貌に当てられた飯炊き女達は頬を赤らめ、照れたように頷いた。 「そうなんだよ、八月さん。この町の長の娘さんがね、都のお貴族様と」 「気だてもいいし、なにより、べっぴんだからねえ」 「まあ、八月さんには流石にかなわないけどさ」  違いない、と皆に肯定されて、八月は曖昧に微笑む。  確かに、彼が借り受けたこの体はかなりの美女である。  しかし八月にその自覚は薄い。  それよりも、と彼女は先ほどの話題を追及する。 「祝言は、この町で行うのか?」  尋ねられた飯炊き女達は笑顔で頷いた。 「そうだよ。なにしろ、ひとり娘でね。お貴族様の方が婿入りなさるんだよ」 「持参金を担いでね」 「そうそう!」  笑いがはじける。それに加わらず、八月は大鍋を手荒に洗いながら物思いに耽るのだった。 「祝言ですか。それはまた」 「稼げそうか?」  夕刻。宿の一室で八月は昼間聞いた話を柘榴に聞かせた上で尋ねた。  柘榴はもちろん、と首を縦に振る。 「聞いたかぎり、盛大なものになりそうですしね。仕事はいくらでもあるでしょうね」 「そうか。なら」 「ええ。しばらくこの町に留まりましようか」 「うむ。そうしよう。これで気兼ねなく酒が飲めるな」 「・・・・・・ほどほどにしてくださいよ」  嬉しそうな八月に苦笑をこぼしつつ、柘榴はチクリと刺を刺す。  この両人が厄介事に巻き込まれるのは、翌日のことであった。  
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加