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お金がないの、と母は言った。
その言葉の生々しさに少し驚き、それから仕方がないとすぐに納得した。
せわしなく雨の降る夜、久しぶりに家族が顔を合わせた夕飯どきだった。父は何も言わずに私の顔を見つめ、母はうつむいたまま私の顔を見ずに言う。
「大学、これ以上、通わせられないと思う」
「うん」
「ごめんね」
「大丈夫」
ほとんど上の空で答えながら、告げられた言葉の意味を考える。
おかねがない。それをわざわざ私に告げるのだから、これは明確な非常事態宣言だ。
前から予感はあった。それは例えば、冷蔵庫の中身がいつでも空っぽだったとか、学費の支払いの前後には両親の残業がひどく増えるだとか、父が少し大きい病気をして入院しただとか。ずっと予感はあったのに、気づいていたのに、まだ何とかなるだろうと受け流してきたのは私自身だ。だから、両親が申し訳なく思う必要はないはずだった。大丈夫。自分のせいだとわかっている。
気まずい空気を完全に消すことができないまま、どうにか夕飯を食べ終えて部屋に戻る。扉を閉めて一人になった途端に、溜め息がこぼれた。
部屋の中をぐるりと見回す。四畳半程度の広さしかない部屋に押し込んだベッドと机と、それから教科書や資料を詰め込んだ背の高い本棚。本棚の中身をすべて売れば少しは足しになるかな、と考えかけて首を振る。教科書を手放してまで大学に残ろうなんておかしな話だし、そもそも売ったところで、数日分の食費にしかならないだろう。この非常事態に私ができることはあまりない。アルバイトはこれまでだってやっていた。それでもなお足りないから、こんなことになっている。
溜め息をいくらついても、胸の重さは消えなかった。きっと今日はもう冷静な判断はできない。明日考えよう。そう決めると今日はもう寝るしかなかった。
その夜、考えずに寝ようと決めたくせに結局寝つけなくて、寝転がって窓にぶつかる雨粒を見つめながら、辞めずにすむ方法を思いつく分だけ並べ立てた。世の中、死ぬ気になればきっと死なない程度にどうにかできる可能性がないわけじゃないはずだ。頑張ろうと強い気持ちさえ持てばどうにかなると、いろんなテレビや本や歌で叫んでいるじゃないか。そんなことを考えながら、暗やみの中で指を折り、たくさんの手段を思い浮かべる。
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