アイ・ラブ・ユーを投げ捨てろ

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 目を閉じると、いつかの夜に先輩と二人で見た光景が蘇る。  霧深い雨の街、街燈だけが導くこの先の道。あの河を越える橋をゆっくり渡って、どこまでも行けると思った。いつまでも一緒に行けると信じていた。  夕闇、オレンジ、導く光。  胸の奥に暖かな火が灯る。    ◇◇◇  私の好きな人は、仲間内ではタチモリと呼ばれていた。同じ経理部の四歳上の先輩。社会人になりたての私たちに、すべてを教えてくれた偉大なる先輩。  優しい声。細い腰。スーツが似合う体格。細く柔らかそうなフワフワな髪。人畜無害を絵に描いたような顔つき。そのくせ、口から飛び出す言葉はユーモアと毒に溢れていて。仕事は早くて的確で、こちらが困っているとさり気なく手を貸してくれて。  平たく言うと、タチモリ先輩はあらゆる意味でカッコ良かった。    タチモリ先輩の自宅は私と同じ最寄り駅だった。仕事が同じタイミングで上がる時には一緒に帰ることもあった。最初の三回は偶然で、それ以降は同じ部署の強みで、こっそりと狙って同じ電車に乗れるように仕事を終わらせたことも何回か……それなりの回数あった。  タチモリ先輩がそれに気づいていたかは分からない。バレていなかったと思いたい。それを指摘されたことは、一度もなかった。  一度美味しいものを食べてしまったら、いつだってその美味しいものが食べたくてたまらなくなるのと同じように、一度先輩と二人きりで話してしまえば、何度もその機会が欲しくなってたまらなくなるのだ。タチモリ先輩と二人きりで話せる時間は、私にとってささやかな幸せの時間だった。    タチモリ先輩と私の家はそれなりに近いらしい。  最寄駅で降りて、大きな河をまたぐ橋までは同じ道。橋を渡りきったところで左に曲がるとすぐ私の家がある。先輩の自宅は右に曲がってしばらく歩くという話だった。詳しい位置は決して教えてもらえなかった。  天気が良くて気温も気分も良い夜には、橋にいくつかある休憩ベンチに座って、缶コーヒーを飲みながら雑談した。  霧の深い夜、橋の先が見えないことに少し興奮しながら、オレンジの街灯を頼りにゆっくりと肩を並べて歩いた夜もあった。 後まで抜け目のない人だった。  同僚の誰も知らない、誰も得られない特別な時間。そういうものを何度も過ごせば親密になりそうなものなのに、タチモリ先輩はまったく距離感が変わらない人だった。
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