私と彼の疑似殺人

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昔の私だったらきっと他の部位でも十分満足しただろう。 自分の好みに気づいたときから、全力を賭して欲望を抑え込んできた。すぐ隣にいても首を絞めてはいけない。日に当たらない腹が見えたからって引き裂いてはいけない。目の前で無防備に寝ていても歯を突き立ててはいけない。 してはいけない。すべきではない。それらでずっと縛ってきた、誰にもバレないように、気取られないように。気づかれてしまえば、何もかもが終わってしまうから。犯罪者予備軍の衝動をひた隠して、いたって普通を演じてきた。それなのに、 「別にいいぞ。」 これである。 今まで禁止にしてきたことが、他でもない殺したい本人により許可されたのだ。戸惑い、困惑、疑念、入り混じっていたが、いの一番に飛び出したのは期待と衝動だった。 噛んで千切って裂いて混ぜて啜って出して突っ込んで折って砕いて飲んで剥いで削いで刺して絞めて切って。 彼はどの程度を想像したのだろう。だがそれを詳しく問いただすのも、晒された身体の前には億劫になる。 全身に満遍なく歯形が付けられたことに達成感を抱きながらも、まだ足りないと唾を飲み込んだ。噛めば噛むほど、許容されれば許容されるほど、脳みそはふやけていく。理性は溶けだし、思考は廃棄される。 「瞳孔、開いてるぞ。」 「君の、せい。」 荒い息を抑えるように奥歯を噛みしめた。噛んでも噛んでも、足りない。 太い首に両手を回し、そのまま噛みつく。痛かったらしく、短いうめき声が聞こえたが、それももうどうでも良い。ひくりと引き攣るように震えた皮膚の下の筋肉にぐ、と歯をたてる。今度は引き離すのではなく宥めるように後頭部を撫でられた。これだからいけない。怒ることも然ることもなく甘やかすから、調子に乗ってしまう。ずぶずぶと深みにはまるように、欲のままに従ってしまう。もはや理性に縛られていた我慢できていたころの私には戻れないだろう。
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