パンドラの子守唄

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  ねんねんころりよ おころりよ   坊やは良い子だ ねんねしな  窓を開けると、隣の部屋から歌声が聞こえてくる。この産婦人科では胎教の一環として、希望すれば妊婦やその配偶者に子守唄の指導を行ってくれる。  冬の冷たい風が心地よい。  ぽこぽことお腹を内側から蹴られる感触に、頬が緩むのを感じた。  大きく膨らんだお腹をさすりながら、不意に、自分の決断は正しかったのだろうかと、何度も繰り返した自問が再び浮き上がる。  三ヵ月前、ショウは息を引き取った。最後まで意識が戻ることは無かったという。  この子にはもう、父親がいない。  ショウのご両親から受け取ったお金や、今までの貯金など、それなりの蓄えはある。けれど私一人で子供を抱えて、果たしてどこまでやってゆけるだろう。  そして私が犯した罪も、ショウが私に残した傷痕も、生涯消えることはない。  暗澹と楽観、自責と憎悪。  相反する感情たちが、波のようにせめぎ合う。  まるでパンドラの箱のようだ。私のお腹の中にも、比率が分からない絶望と希望が詰まっている。  最後に残るのは、どちらなのか。どちらでもないのかもしれない。  娘は私の絶望と希望、両方を背負って産まれてくる。  不意に息苦しさを感じて、窓を閉め、ベッドのふちにゆっくり腰を下ろした。  呼吸を整え、唄の続きを口ずさむ。   揺籃のつなを 木鼠がかじるよ   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ   揺籃の夢に 黄色い月がかかるよ   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ  それでも――――。  最後に残るのが絶望だったとしても、私はあなたと生きてゆきたい。この世でただ一人、私の血と肉を分けた、小さな小さなあなたと。  身勝手な母の願いを唄に託して、まだ見ぬ我が子に語りかける。  子守唄は不思議だ。  子供のために歌っているようで、歌詞がするすると自分の心の内側に入り込んでくる。  赤ちゃんをあやすのと同時に、歌っている自分の心もなだめ、不安や苛立ちを鎮めてくれるようだ。母もかつてこんな風に、子守唄をうたってくれたのだろうか。  歌い終える頃には眠ってしまったのか、胎動は止んでいた。我が子につられるように、うつらうつらと眠気が襲ってくる。  ベッドに体を横たえ、窓の外を眺める。  冬空にぽっかりと浮かんだ真昼の月が、私たちを静かに見下ろしていた。
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