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世の中、間違っている。
相澤幸希は、「俺は悪くない」と呟いて、シュルリとネクタイを解いた。
3度目の転職も、上手くいかなかった。
高学歴・高身長で、容姿も悪くないと言われる。
仕事の飲み込みも早く、人当たりも良い。
初めの2、3ヶ月は、毎回順調なのだ。
上司にも先輩にも可愛がられ、歓迎される。
それなのに、3ヶ月を過ぎた頃から、必ず歯車が狂い始める。
例にもれず今回も、
「気が効かない」
「いつまで甘えているんだ」
「それくらい、自分で判断しろ」
そんな言葉を上司から浴びせられ、無断欠勤の末に自主退職となった。
具体的にどんなミスをしたかと聞かれれば、特にないとしか答えようがない。
いや、それ以前の問題だったのかもしれない。
それまでは先輩に着いて外回りしていたが、そろそろ一人立ちしろと言われ、急に動けなくなった。
細かいことが気になってしまって、いちいち確認していたら、親切だった先輩は、次第に冷たい態度になっていった。
覚えが悪くて何度も質問したわけじゃない。
いくら事前に教わっていても、状況が変われば対応の仕方も変わるから、単に、確認したかっただけだ。
臨機応変に対応できるだけの経験が、自分にはまだ足りていないという自覚があった。
だから、上司や先輩の指示を待ったほうが、失敗しなくて済むと思ったのに。
その、いつまでも指示を待ち、自主的に動こうとしない態度が、「使えない」と思われる一因だったのだろうか。
未熟であることを武器に、相手のふところに入るようなあざとさが、幸希には確かにあったかもしれない。
不安な顔をしていればアドバイスをもらえたし、失敗しても庇ってもらえた。容姿が整っているというアドバンテージもあり、営業として期待を持たれていることも、周囲の人からちやほやされる要因だっただろう。未熟ゆえの小さなミスは、可愛げがあるとすら言われ、休憩時間の話題として、微笑ましく語られることさえあった。
そうやって、新しい会社に溶け込むことが出来ていたのだ。けれど、いつまでも「未熟な新人」扱いは通用しない。そんなことは、幸希だってわかっている。
とはいえ、たった3ヶ月で「使えるか、使えないか」を判断されるのが悔しい。
もう少し、時間をかけて新人を育成する余裕が会社側にあれば。
けれど、求められるのはいつも「即戦力」。
3度変わった会社はどこも、常に人手不足に苦しんでいるようなところだった。だから、新人教育に時間を割く余裕が無いというのも、本当のことだった。
考えれば考えるほど、理不尽な気がしてきて、
幸希は天井を仰いでため息を吐いた。
もとより、自分を責めることを幸希はしない。
自分に甘く。
そうすることで、心の均衡を何とか保っている。
全ては、世の中のせい。
そんな考えが間違っていると分かっていても、彼は考えることを放棄する。
考え出したら、そこから抜け出せなくなるから。
「もういーや。 ゆっくり次のとこ決めよ」
職をコロコロ変えているにも関わらず、就職活動が難航したことは、今のところ無い。
その事実が余計に、彼を楽観的にさせていた。
嫌になったら辞めればいい。
常に、そんな考えが根底にあるせいで、彼は耐えることが出来ない。
辛いことを耐えたところで、精神を病んだら本末転倒だ。
働けなくなれば、自立した生活は困難になる。
このアパートの部屋……2年かけて作り上げた、自分だけの城から出ていくことだけは、したくない。
また、「あの場所」に戻るようなことは、絶対にあってはならないのだから。
ベッドに寝転がり、天井を見上げた。
貯金額を考えれば、次の仕事を見つけるまでの猶予は2ヶ月がギリギリだった。
母方の祖父母に支援を頼むことも出来るが、それは奥の手だ。
ただでさえ、祖父にはアパートの保証人になってもらっているし、こころ尽くしの支援物資(米や野菜、たまに現金)が定期的に送られてくるのだ。これ以上、年金暮らしの彼らに頼るわけにはいかない。
つまり、あまり時間は残されていない。
だが、履歴書を書くよりも先に、幸希にはやるべきことがあった。
彼を決して否定せず、ひたすらに甘やかし、崇拝してくれる、そんな便利な他人を利用して、自分に暗示をかけることだ。
それこそが、たった6畳の城を守り抜くための、大切な儀式。
儀式を終えてやっと、幸希は就職活動を始められるのである。
パソコンを起動させ、開いたのは出逢い系のサイトだ。ただし、ゲイ限定の。
しかし、彼はゲイではない。
では何故、このサイトを度々利用するのか。
それは単に、楽だから。
女性相手では、こちらがエスコートせねばならず、気をつかうばかりで疲弊してしまう。
ひと時の快楽を得るまでの手順が多く、正直いって面倒だし、やたら金がかかる。
彼は今まで一度も、女性との付き合いの中に安寧を見出したことは無かった。
父の紹介で出逢った女性はどれも、自分は特別だと思っているような、容姿に自信をもった気位の高いひとたちだった。
彼女たちとの付き合いは、先を読んで行動し、空気を読んで言葉を選び、顔色を伺って言葉を飲み込みんだあげく、いつも疲れ果てて関係が終わった。
ひたすらに、疲弊しかしなかった。
一生添い遂げる気持ちもないのに、そんな労力を費やすのは不毛に思え、次第に幸希は、女性と付き合うことが億劫になっていったのだ。
幸希はこのサイトを利用する時、自ら掲示板に名乗り出ず、閲覧だけして相手を探す。
条件は以下だ。
・奥手そうな雰囲気であり、容姿に自信がないこと
・プロフィールに写真が添付されていない(こちらも写真を要求されない場合が多いので好都合)
・極端にアブノーマルな性癖でないこと
・無趣味な仕事人間であること
・O型であること(幸希がB型なので、きわめて個人的見解だが、O型はB型に寛容であると、彼は信じている)
以上の条件を満たす男こそ、幸希の自尊心を満たす餌食に相応しいのだ。
その理由は、これまでの経験による。
※女性経験よりも男性経験が上回っている事実を、幸希本人は気にしていない。ゲイではないと主張しているが、受け側での性行為経験済み。その件についても、何ら抵抗なく受け入れている。単なる快楽主義なのか、余程の天然なのかは不明。
プロフィールはネコとタチで分かれているので、面倒な確認が必要ないから気楽だった。
新着情報から順に目を通してゆく。
しばらく閲覧したのち、今回は不発に終わるか、と幸希は溜息を吐いた。
どれも自信満々な決め顔写真付きで、ギラついた文面ばかりだった。何度も利用していれば、彼らの殆どが、同じ顔ぶれであることにも気づいてくる。つまりは、完全なる「ヤリモク」である。
どうせ最終目的は皆同じなのだが、初めからこうも露骨だと寒気しかしない。
諦めモードで画面をスクロールしてゆくと、とうとう投稿日が1ヶ月も前のものに遡ってしまった。
そこで漸く、写真のない投稿者を見つけたが、1ヶ月も前ともなると、連絡が取れるのか怪しいものだ。
しかし、プロフィールに目を通すと、条件に見事なほど当てはまっていた。
ハンドルネーム「シナモンアップル」を目にした時点で幸希は失笑していたのだが、プロフィールも相当垢抜けない。
その男は、製薬会社の研究所に所属しており、33歳にして恋愛経験はなし。
好きな花は薔薇、好きな色は臙脂色、好きなアーティストはスピッ○。
本人曰く中肉中背で、人生の中でモテた記憶は一度もない、とのこと。
極め付けに、血液型はO型。
素晴らしすぎて、幸希は思わずほくそ笑んだ。
問題は、すぐに連絡がつくかどうかだ。掲示板にはパソコンのメールアドレスが載せられているが、ケータイにも自動転送されるようにちゃんと設定しているのだろうか。
何となく、プロフィールから鈍臭そうな人物像が浮かんで、幸希は八つ当たりのように舌打ちした。
とはいえ、他にめぼしい投稿も無かったので、幸希は仕方なく「シナモンアップル」氏へのメールを作成することに決めた。
以下が文面である。
***
シナモンアップルさん
突然のメールすみません。
あなたのプロフィールを拝見し、
是非お会いしたく、連絡してみました。
僕はコウと申します。
現在24歳、営業職をしております。
178cm痩せ型です。
1ヶ月前に投稿されてからずっと
あなたのことが気になっていました。
しかし、メール1通すら送ることをためらい、
今日に至りました。
見知らぬあなたに連絡することは
内気な僕にとって勇気が要ることでした。
今も、文字を打つ手が震えています。
もし、あなたがこのメールをご覧になり
僕に少しでも興味を持っていただけたのなら
どうかお返事をください。
コウ
***
幸希はそれから、メールを送ったことなど忘れ、映画配信サイトで映画を観た。
残業続きの3ヶ月間だったから、観たい映画が溜まりに溜まっていた。
すこしでも時間があれば、新着映画をチェックし、ウォッチリストに保存してはいたが、それらを消化する時間までは無かったのだ。
ベトナムの貧しい農村が舞台のその映画は、父と主人公の少年が、リヤカーで怪我をした弟を運ぶシーンから始まった。
映画も小説と同じで、冒頭で引き込まれる作品は、大抵、最後まで集中して観ることができる。
美しい農村の風景と、どこか息のつまるような、村社会の閉塞的な空気。
そこで生きる、賢いが臆病な兄と、彼を慕う幼い弟。
幸希が期待に胸を躍らせたその時だった。
メールの着信音に、現実世界へと引き戻された。
すっかり興ざめした幸希は、ヘッドフォンを乱暴に外し、スマホの画面を見下ろした。
それは、登録したばかりの「シナモンアップル」氏からの返信だった。
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