1 木洩れ日

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世の中、間違っている。 相澤幸希は、「俺は悪くない」と呟いて、シュルリとネクタイを解いた。 3度目の転職も、上手くいかなかった。 高学歴・高身長で、容姿も悪くないと言われる。 仕事の飲み込みも早く、人当たりも良い。 初めの2、3ヶ月は、毎回順調なのだ。 上司にも先輩にも可愛がられ、歓迎される。 それなのに、3ヶ月を過ぎた頃から、必ず歯車が狂い始める。 例にもれず今回も、 「気が効かない」 「いつまで甘えているんだ」 「それくらい、自分で判断しろ」 そんな言葉を上司から浴びせられ、無断欠勤の末に自主退職となった。 具体的にどんなミスをしたかと聞かれれば、特にないとしか答えようがない。 いや、それ以前の問題だったのかもしれない。 それまでは先輩に着いて外回りしていたが、そろそろ一人立ちしろと言われ、急に動けなくなった。 細かいことが気になってしまって、いちいち確認していたら、親切だった先輩は、次第に冷たい態度になっていった。 覚えが悪くて何度も質問したわけじゃない。 いくら事前に教わっていても、状況が変われば対応の仕方も変わるから、単に、確認したかっただけだ。 臨機応変に対応できるだけの経験が、自分にはまだ足りていないという自覚があった。 だから、上司や先輩の指示を待ったほうが、失敗しなくて済むと思ったのに。 その、いつまでも指示を待ち、自主的に動こうとしない態度が、「使えない」と思われる一因だったのだろうか。 未熟であることを武器に、相手のふところに入るようなあざとさが、幸希には確かにあったかもしれない。 不安な顔をしていればアドバイスをもらえたし、失敗しても庇ってもらえた。容姿が整っているというアドバンテージもあり、営業として期待を持たれていることも、周囲の人からちやほやされる要因だっただろう。未熟ゆえの小さなミスは、可愛げがあるとすら言われ、休憩時間の話題として、微笑ましく語られることさえあった。 そうやって、新しい会社に溶け込むことが出来ていたのだ。けれど、いつまでも「未熟な新人」扱いは通用しない。そんなことは、幸希だってわかっている。 とはいえ、たった3ヶ月で「使えるか、使えないか」を判断されるのが悔しい。 もう少し、時間をかけて新人を育成する余裕が会社側にあれば。 けれど、求められるのはいつも「即戦力」。 3度変わった会社はどこも、常に人手不足に苦しんでいるようなところだった。だから、新人教育に時間を割く余裕が無いというのも、本当のことだった。 考えれば考えるほど、理不尽な気がしてきて、 幸希は天井を仰いでため息を吐いた。 もとより、自分を責めることを幸希はしない。 自分に甘く。 そうすることで、心の均衡を何とか保っている。 全ては、世の中のせい。 そんな考えが間違っていると分かっていても、彼は考えることを放棄する。 考え出したら、そこから抜け出せなくなるから。 「もういーや。 ゆっくり次のとこ決めよ」 職をコロコロ変えているにも関わらず、就職活動が難航したことは、今のところ無い。 その事実が余計に、彼を楽観的にさせていた。 嫌になったら辞めればいい。 常に、そんな考えが根底にあるせいで、彼は耐えることが出来ない。 辛いことを耐えたところで、精神を病んだら本末転倒だ。 働けなくなれば、自立した生活は困難になる。 このアパートの部屋……2年かけて作り上げた、自分だけの城から出ていくことだけは、したくない。 また、「あの場所」に戻るようなことは、絶対にあってはならないのだから。 ベッドに寝転がり、天井を見上げた。 貯金額を考えれば、次の仕事を見つけるまでの猶予は2ヶ月がギリギリだった。 母方の祖父母に支援を頼むことも出来るが、それは奥の手だ。 ただでさえ、祖父にはアパートの保証人になってもらっているし、こころ尽くしの支援物資(米や野菜、たまに現金)が定期的に送られてくるのだ。これ以上、年金暮らしの彼らに頼るわけにはいかない。 つまり、あまり時間は残されていない。 だが、履歴書を書くよりも先に、幸希にはやるべきことがあった。 彼を決して否定せず、ひたすらに甘やかし、崇拝してくれる、そんな便利な他人を利用して、自分に暗示をかけることだ。 それこそが、たった6畳の城を守り抜くための、大切な儀式。 儀式を終えてやっと、幸希は就職活動を始められるのである。 パソコンを起動させ、開いたのは出逢い系のサイトだ。ただし、ゲイ限定の。 しかし、彼はゲイではない。 では何故、このサイトを度々利用するのか。 それは単に、楽だから。 女性相手では、こちらがエスコートせねばならず、気をつかうばかりで疲弊してしまう。 ひと時の快楽を得るまでの手順が多く、正直いって面倒だし、やたら金がかかる。 彼は今まで一度も、女性との付き合いの中に安寧を見出したことは無かった。 父の紹介で出逢った女性はどれも、自分は特別だと思っているような、容姿に自信をもった気位の高いひとたちだった。 彼女たちとの付き合いは、先を読んで行動し、空気を読んで言葉を選び、顔色を伺って言葉を飲み込みんだあげく、いつも疲れ果てて関係が終わった。 ひたすらに、疲弊しかしなかった。 一生添い遂げる気持ちもないのに、そんな労力を費やすのは不毛に思え、次第に幸希は、女性と付き合うことが億劫になっていったのだ。 幸希はこのサイトを利用する時、自ら掲示板に名乗り出ず、閲覧だけして相手を探す。 条件は以下だ。 ・奥手そうな雰囲気であり、容姿に自信がないこと ・プロフィールに写真が添付されていない(こちらも写真を要求されない場合が多いので好都合) ・極端にアブノーマルな性癖でないこと ・無趣味な仕事人間であること ・O型であること(幸希がB型なので、きわめて個人的見解だが、O型はB型に寛容であると、彼は信じている) 以上の条件を満たす男こそ、幸希の自尊心を満たす餌食に相応しいのだ。 その理由は、これまでの経験による。 ※女性経験よりも男性経験が上回っている事実を、幸希本人は気にしていない。ゲイではないと主張しているが、受け側での性行為経験済み。その件についても、何ら抵抗なく受け入れている。単なる快楽主義なのか、余程の天然なのかは不明。 プロフィールはネコとタチで分かれているので、面倒な確認が必要ないから気楽だった。 新着情報から順に目を通してゆく。 しばらく閲覧したのち、今回は不発に終わるか、と幸希は溜息を吐いた。 どれも自信満々な決め顔写真付きで、ギラついた文面ばかりだった。何度も利用していれば、彼らの殆どが、同じ顔ぶれであることにも気づいてくる。つまりは、完全なる「ヤリモク」である。 どうせ最終目的は皆同じなのだが、初めからこうも露骨だと寒気しかしない。 諦めモードで画面をスクロールしてゆくと、とうとう投稿日が1ヶ月も前のものに遡ってしまった。 そこで漸く、写真のない投稿者を見つけたが、1ヶ月も前ともなると、連絡が取れるのか怪しいものだ。 しかし、プロフィールに目を通すと、条件に見事なほど当てはまっていた。 ハンドルネーム「シナモンアップル」を目にした時点で幸希は失笑していたのだが、プロフィールも相当垢抜けない。 その男は、製薬会社の研究所に所属しており、33歳にして恋愛経験はなし。 好きな花は薔薇、好きな色は臙脂色、好きなアーティストはスピッ○。 本人曰く中肉中背で、人生の中でモテた記憶は一度もない、とのこと。 極め付けに、血液型はO型。 素晴らしすぎて、幸希は思わずほくそ笑んだ。 問題は、すぐに連絡がつくかどうかだ。掲示板にはパソコンのメールアドレスが載せられているが、ケータイにも自動転送されるようにちゃんと設定しているのだろうか。 何となく、プロフィールから鈍臭そうな人物像が浮かんで、幸希は八つ当たりのように舌打ちした。 とはいえ、他にめぼしい投稿も無かったので、幸希は仕方なく「シナモンアップル」氏へのメールを作成することに決めた。 以下が文面である。 *** シナモンアップルさん 突然のメールすみません。 あなたのプロフィールを拝見し、 是非お会いしたく、連絡してみました。 僕はコウと申します。 現在24歳、営業職をしております。 178cm痩せ型です。 1ヶ月前に投稿されてからずっと あなたのことが気になっていました。 しかし、メール1通すら送ることをためらい、 今日に至りました。 見知らぬあなたに連絡することは 内気な僕にとって勇気が要ることでした。 今も、文字を打つ手が震えています。 もし、あなたがこのメールをご覧になり 僕に少しでも興味を持っていただけたのなら どうかお返事をください。 コウ *** 幸希はそれから、メールを送ったことなど忘れ、映画配信サイトで映画を観た。 残業続きの3ヶ月間だったから、観たい映画が溜まりに溜まっていた。 すこしでも時間があれば、新着映画をチェックし、ウォッチリストに保存してはいたが、それらを消化する時間までは無かったのだ。 ベトナムの貧しい農村が舞台のその映画は、父と主人公の少年が、リヤカーで怪我をした弟を運ぶシーンから始まった。 映画も小説と同じで、冒頭で引き込まれる作品は、大抵、最後まで集中して観ることができる。 美しい農村の風景と、どこか息のつまるような、村社会の閉塞的な空気。 そこで生きる、賢いが臆病な兄と、彼を慕う幼い弟。 幸希が期待に胸を躍らせたその時だった。 メールの着信音に、現実世界へと引き戻された。 すっかり興ざめした幸希は、ヘッドフォンを乱暴に外し、スマホの画面を見下ろした。 それは、登録したばかりの「シナモンアップル」氏からの返信だった。
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