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◆◇◆◇
事故から三週間後。
弟のいない喪失感にはまったく慣れないが、それでも日々は過ぎていく。
学校にいる間は、友人らといることでなんとか気は紛れたが、それでも一日に必ず二回は弟の死を突き付けられる瞬間があった。
それは学校の行き帰り。どうしても立ち止まってしまう場所。
事故現場の横断歩道。
迂回しようにも他に道はなく、毎日のようにそこを通らざるをえなかった。
遠目からでもわかる、信号機とその足元に供えられた花束や供物。横断歩道の端――"何か"を避けながら歩く学生たち。
そこに何があるのか、オレは知っている。
白黒の横縞が視界に入った時、前方に控える"それ"をチラと見た。
うっすらと残る赤黒いシミ。――弟の残したもの。
胸の奥に、どんよりと重いものが蟠る。
自らの犯した誤ち。
弟の最期の言葉、最期の時。
決して拭えない喪失感。
失われた弟の笑顔。
ふと、老いぼれ桜と弟の姿が脳裏を過ぎり、堰を切ったようにあらゆる感情が溢れ出す。
悔しい。悲しい。辛い。
込み上げる思いに耐えきれず、潰れてしまいそうだ。
――すぐに行くから、待ってて。
(あいつはそう言った。でも、待つよりも、いっそあいつの所に――)
足元がグラリと揺れる。
『コウイチ!』
頭の中に声が響き、我に返る。
ハッと顔を上げた瞬間、目と鼻の先を車が猛スピードで駆け抜けた。
信号は赤。
脇見をしていたのがアダとなり、危うく走行中の車の前に躍り出るところだった。
心臓が激しく鼓動する。
喉が激しく渇く。
背筋を冷たい汗が伝う。
死が、目の前にチラついている。
(カズキ、オレハ今、死ノウトシテタ)
それからというもの、オレは弟に腕を引っ張られる夢を連日見るようになった。
その夢はいつも黄昏時で、オレは必ず神社の前にいる。
一の鳥居のすぐ外にいて、参道の先を眺めていた。
ずっと奥まで伸びる参道。
途中、二の鳥居を境に塀が聳え、その先の展望を阻む。
二基の鳥居越しに見る、茜色の境内。
その片隅に、一本だけぽつんと佇む老いぼれ桜。
あの木の傍に行きたいのに、どうしても足が動かない。
不意に、誰かがオレの左手を掴む。弟だ。
『行こう。あの桜が見たいんだ』
弾けるような笑顔の弟が、オレを鳥居の中へ導こうと力強く引っ張る。
穢れ、神域――その言葉が脳裏を過ぎるが、手を引かれるままに足を一歩踏み出した。
その瞬間、オレを引き止めるべく、空いている方の右手を誰かの手が掴む。
見覚えのある右手。だが、ある筈の小指がない。
振り向いた先には、険しい顔の弟がいた。
『そっちに行くな。ボクを追うな』
いつになく剣呑な様子。
焦燥と心配の入り混じる二つの目。
『でも、お前があの桜が見たいって……』
戸惑いながら、再び鳥居の先へと振り返る。
先程までオレの左手を引いていた弟の姿は消え、いつの間にか風景までもががらりと変わり、"あの"横断歩道が目の前に広がっていた。
歩行者用信号は赤。目の前を車がビュンビュンと駆け抜けていく。
(あ、カズキ)
横断歩道の向こう側に弟の姿を見つけ、状況を把握した。
(あっちに行かないと)
赤信号に引っ掛かったのはオレ。
弟は横断歩道を先に渡り、オレが追い着くのを待っているのだ。
信号が青に変わる。
オレは突き動かされるように、横断歩道へ飛び出した。
『だから、ボクを追うな』
怒声の後、すぐ脇から強い力で弾かれ、後方によろめく。
その瞬間に見たもの。
眼前を掠める小指のない右手。
オレに体当たりをした反動で、横断歩道へと躍り出る弟の姿。
そこに突っ込むトラック――
「うわああああああっ」
絶叫し、飛び起き、嗚咽し、両の拳を床に叩きつける。
なんで、お前が犠牲になる?
どうして、オレを引き止める?
どちらのお前が本物なんだ?
なにを望んで、オレにこの夢を毎日見せるんだ?
なんで、追うのを拒むんだ?
「オレは……オレはただ、カズキ、お前に――」
暗い部屋の中、電球の明かりを頼りに机に向かう。
机上の缶を手に取り、蓋を開けると、中には畳まれた白い布が収まっていた。
それを広げて姿を現したのは、茶色の繊維が数本と、白くて小さな石。――夜伽と火葬の際、こっそり取った弟の髪と右手の小指の骨。
「どうして、死んだのはオレのせいだと責めない? なんで、連れて行ってくれないんだ? カズキ」
震える声で尋ねても、答えは返ってこなかった。
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