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 事故から三週間後。  弟のいない喪失感にはまったく慣れないが、それでも日々は過ぎていく。  学校にいる間は、友人らといることでなんとか気は紛れたが、それでも一日に必ず二回は弟の死を突き付けられる瞬間があった。  それは学校の行き帰り。どうしても立ち止まってしまう場所。  事故現場の横断歩道。  迂回しようにも他に道はなく、毎日のようにそこを通らざるをえなかった。  遠目からでもわかる、信号機とその足元に供えられた花束や供物。横断歩道の端――"何か"を避けながら歩く学生たち。  そこに何があるのか、オレは知っている。  白黒の横縞が視界に入った時、前方に控える"それ"をチラと見た。  うっすらと残る赤黒いシミ。――弟の残したもの。  胸の奥に、どんよりと重いものが蟠る。  自らの犯した誤ち。  弟の最期の言葉、最期の時。  決して拭えない喪失感。  失われた弟の笑顔。  ふと、老いぼれ桜と弟の姿が脳裏を過ぎり、堰を切ったようにあらゆる感情が溢れ出す。  悔しい。悲しい。辛い。  込み上げる思いに耐えきれず、潰れてしまいそうだ。  ――すぐに行くから、待ってて。 (あいつはそう言った。でも、待つよりも、いっそあいつの所に――)  足元がグラリと揺れる。 『コウイチ!』  頭の中に声が響き、我に返る。  ハッと顔を上げた瞬間、目と鼻の先を車が猛スピードで駆け抜けた。  信号は赤。  脇見をしていたのがアダとなり、危うく走行中の車の前に躍り出るところだった。  心臓が激しく鼓動する。  喉が激しく渇く。  背筋を冷たい汗が伝う。  死が、目の前にチラついている。 (カズキ、オレハ今、死ノウトシテタ)  それからというもの、オレは弟に腕を引っ張られる夢を連日見るようになった。  その夢はいつも黄昏時で、オレは必ず神社の前にいる。  一の鳥居のすぐ外にいて、参道の先を眺めていた。  ずっと奥まで伸びる参道。  途中、二の鳥居を境に塀が聳え、その先の展望を阻む。  二基の鳥居越しに見る、茜色の境内。  その片隅に、一本だけぽつんと佇む老いぼれ桜。  あの木の傍に行きたいのに、どうしても足が動かない。  不意に、誰かがオレの左手を掴む。弟だ。 『行こう。あの桜が見たいんだ』  弾けるような笑顔の弟が、オレを鳥居の中へ導こうと力強く引っ張る。  穢れ、神域――その言葉が脳裏を過ぎるが、手を引かれるままに足を一歩踏み出した。  その瞬間、オレを引き止めるべく、空いている方の右手を誰かの手が掴む。  見覚えのある右手。だが、ある筈の小指がない。  振り向いた先には、険しい顔の弟がいた。 『そっちに行くな。ボクを追うな』  いつになく剣呑な様子。  焦燥と心配の入り混じる二つの目。 『でも、お前があの桜が見たいって……』  戸惑いながら、再び鳥居の先へと振り返る。  先程までオレの左手を引いていた弟の姿は消え、いつの間にか風景までもががらりと変わり、"あの"横断歩道が目の前に広がっていた。  歩行者用信号は赤。目の前を車がビュンビュンと駆け抜けていく。 (あ、カズキ)  横断歩道の向こう側に弟の姿を見つけ、状況を把握した。 (あっちに行かないと)  赤信号に引っ掛かったのはオレ。  弟は横断歩道を先に渡り、オレが追い着くのを待っているのだ。  信号が青に変わる。  オレは突き動かされるように、横断歩道へ飛び出した。 『だから、ボクを追うな』  怒声の後、すぐ脇から強い力で弾かれ、後方によろめく。  その瞬間に見たもの。  眼前を掠める小指のない右手。  オレに体当たりをした反動で、横断歩道へと躍り出る弟の姿。  そこに突っ込むトラック―― 「うわああああああっ」  絶叫し、飛び起き、嗚咽し、両の拳を床に叩きつける。  なんで、お前が犠牲になる?  どうして、オレを引き止める?  どちらのお前が本物なんだ?  なにを望んで、オレにこの夢を毎日見せるんだ?  なんで、追うのを拒むんだ? 「オレは……オレはただ、カズキ、お前に――」  暗い部屋の中、電球の明かりを頼りに机に向かう。  机上の缶を手に取り、蓋を開けると、中には畳まれた白い布が収まっていた。  それを広げて姿を現したのは、茶色の繊維が数本と、白くて小さな石。――夜伽と火葬の際、こっそり取った弟の髪と右手の小指の骨。 「どうして、死んだのはオレのせいだと責めない? なんで、連れて行ってくれないんだ? カズキ」  震える声で尋ねても、答えは返ってこなかった。
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