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東京の会社に就職したからといって、この家からアニキの存在が無くなったわけではなかった。だがアニキを連れ帰ったこの時、家はすでに時間も空間もどこか大きく欠けて平衡感覚を失っていた。天井と床が引っくり返り、箸も茶碗も歪んで見えた。
ひどいめまいと吐き気、それに伴う重い頭痛を理由にバイトに復帰することは諦めた。夏休み中もちょくちょく会っていた柴田にも、そんな事情だからしばらくは連絡できないとメールした。
そうはいっても柴田は時々、思い出したようにメールをくれた。マメな感じには見えないヤツだったが、気にかけてくれるのが嬉しかった。
世間でいうところの四十九日が過ぎた頃、柴田からメールが来た。
『松川、久しぶり。今日はお願い。土曜日、大須オーガニックドールズのライブに行くんだけど、付き合ってくれないか』
大須商店街で開かれるスペシャルイベントに出演するローカルアイドルグループを見に行こうというお誘い。
俺はすっかり自分の部屋に引きこもっていたが、アイドルのポスターを部屋に貼って毎日チューするとかいうオタクになったわけではない。
『妹が出るんだ』
続けて届いたメールに「へえ」となった。そういえば、ずっと前に妹がいるとだけ聞いたことを思い出す。
「うん。行く」と返事をしたのは、アイドルを見たかったわけでも、柴田の妹を見たかったわけでも、オタクでない証拠を見せるためでもなく、外に出るちょっとのきっかけが欲しかったからかもしれない。
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