清流と泥水

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 トロンボーンが好きだ。ラッパから鳴るどの楽器にも負けない華やかな音、バスにも引けをとらない低音、複数合わさったときの層の厚み。そんな音が出せるトロンボーンが、私は好きだった。  無駄だな、と悟った。私が何を叫んでも、本当の気持ちは届かない。わがままで言ってるだけじゃない。一機能としてみているような指示だしに、頭に来たのもある。トロンボーンの良さを何も知らないくせに、とも思った。  でももういいんだ。この人には何も伝わらない。会話をするだけムダだ。そんな人相手に、労力なんて使いたくない。  本気で演奏することを止めた。  心は空っぽ、空虚のままに。私は他人が求める音を奏でる。簡単に言えば、そう、本来の力の五割ってところだ。心も音も、五割でやった。  どうでもよかった。五割で吹いたら音割れはなくなり、音処理は溶けるようにフェードアウトし、和音のなかで悪目立ちすることもなくなった。 「トロンボーン、最近いいわね。次もその調子でお願い」  先生にもそう言われた。求められていたのは「キレイナオト」。五割の私は「キレイナオト」を奏でられていた。だって伊達に六年間吹いてたわけじゃない。  空虚が胸を食らっていた。全然嬉しくなかった。夕焼けをバックに自転車を押しながら、空しさに泣きたくなった。それでも涙はでなかった。泣くほど価値があることにも思えなくて。     
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