なかったことに、しましょうか

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「…………ふぅ」 今夜も声にならない吐息が微かに私の耳に届く。 そして、彼がゆっくりと立ち上がる気配がした。 彼が私のテーブルの横を通り過ぎるのは、たった一秒にも満たない時間。 でも、その一瞬を堪えるのがそろそろ辛くなっていた。 『大丈夫ですか?』 そう声をかけることができたなら。 そして、彼の手を取り引き止めることができたなら。 まともに失恋なんてしたことはないけれど、好きな女が目の前を去って行く時の衝動はこんな感じなのかもしれない。 私は背中で聞こえる足音を、いつものように耳を澄ませて聞いていた。 でも今夜は何かが違う。 遠ざかっていたはずの音が近づいてくる。 そして私の真横に音がついた時、開いた手帳に彼の陰が落ちた。
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