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ふと目が覚める。それまで認識していなかった心拍が急に感じられ、今まさに活動を始めたような錯覚とともに全身を血が巡る。それまでも絶えず心臓は働き、僕の命をつないでいてくれたわけだが、それを認識する脳が休んでいたため突然動き出したように感じる。
というのとは別に、脈が激しい気がする。寝起きの脳は活性化しているのか単に寝ぼけているだけなのかはわからないが、フル回転したと思われるそれが命令を出す。
時間を確認せよ、と。
いち早く反応したのは右腕である。身体の横に寄り添うようにしていたその手を自分の頭の方へと持ってくる。枕元を探り、目当ての品、文明の利器、スマートフォン―いや、スマートホンが正しいか―を掴む。慣れた手つきでホームボタンを押すと画面から目をつく明りが飛び出す。その光が届くより前に僕は既に顔をしかめ、目を細め、瞳に直接の衝撃を与えないための予防線を張っていた。
画面からの攻撃をいなすとようやくそこに表示された数字を認識する。
四時四十四分。
おお、ゾロ目だ。
日本は古くから四という数字に対してよい印象を持っていない。個人の話ではない、全体の話である。単に「し」と発音するその哀れな数字は偶然同じ発音をもつ「死」を連想してしまう、らしい。
そのようなものは理論的な根拠などなく言いがかりに近い、いや言いがかりと言い切っていいだろう、根も葉もない習わしである。しかし日本人はそういう語呂合わせというか言葉遊びというか、すなわち「縁起が悪い」ことを気にする。友引には葬式を挙げないだの、受験生にスキーを誘わないだの、挙げればきりがないだろう。「縁起」を気にすること自体は悪いことではないし、僕自身今日みたいに「四」が並んでいる光景には少しばかりぎょっとした。
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