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――蛍を見に来んか。
そう連絡があったのは、少し前の夕方の事である。帰宅して、習慣でポストを覗いたときだった。沢山溜まったピザのデリバリーだとか、マンションだとかの広告のチラシに混じって、一枚の葉書が入っていたのである。手書きで記載された、わたしの名前と住所。差出人の名はない。きっと、表の方に書いてあるのだろう。わたしは首を捻った。こんな風に葉書のやりとりとするような人物に心当たりがなかったのである。
面妖なことと思いながらも手に取って、裏返してみて驚いた。
「大ちゃん……?」
郷里の、幼馴染だった。
――蛍を。
誘いに乗った理由は、わたし自身にも分らない。その文字を見たとたんに、居てもたっても居られなくなり、そして。
今、わたしはここにいる。
「遠かっただろう」
蝉時雨から逃げるように車のドアを開け、助手席に座る。シートベルトを締めながら、わたしは鷹揚に頷いた。
扉を閉めると、外の喧騒が嘘のように静かだ。
「久しぶりだなあ。何年ぶりだ」
「――さあ」
「お前、ちいとも帰ってこんから」
「帰る理由がなかったんよ」
運転席の大ちゃんと目を合わせるのはどうにも面映ゆく、わたしはきっちりと正面を向き、フロントガラスに付いている雨粒の跡をそっと数えた。大ちゃんは屈んで車のエンジンを入れる。土と汗の匂い。既視感を覚えて、わたしは慌てて口を開いた。
「蛍、いるかな」
「いるさ」
眩しいのは、茜のせい。
居心地が悪いのは、尻に伝わるエンジンの振動のせい。
騒ぐ心に水をかけて、わたしはガラス向こうを睨んだ。赤々とした夕焼けが、空を金に染めていた。
とことこと、車は農道を走る。まだ青い稲穂が、夕陽を浴びて金の海のようにさざめいている。霞がかった山の端に、ちらりと星が煌いた。ようようと暮れなずむ空に、烏が二羽、ねぐらへと帰っていくのだろうか。窓ガラス越しに幽かに聞こえるのはヒグラシの声と虫の音。
変わらない風景。変わらない音。
大ちゃんとは、この地で兄妹のように育ったのだ。
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