一 最強剣士と愛弟子

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「よろしいんですの? まだお目覚めになったばかりでしょう?」 「構いませぬよ。剣士たるもの、いかなるときも常に戦に備える気構えが必要ですので。さあ、参りましょうか」 「はい。――パメラ、お部屋のほうをお願い」 「かしこまりました」  それまで音もなくミネルヴァに付き従っていた女性が、初めて口を開いた。紺を基調としたワンピースに純白のエプロン、頭にはレースのついたブリムという伝統的な侍女服に身を包んだその女性は、パメラ・オクリーヴという。当年二十になる彼女は、その服装が示すとおりミネルヴァの侍女である。ほとんど黒に近い茶色の髪を肩のあたりで綺麗に切りそろえ、ややつり気味の目の瞳の色は髪の毛と同じ茶色だ。端正で整った顔立ちなのだが、目元を隠すように垂れる長い前髪と野暮ったい化粧のせいで、きわめて地味な印象を周囲に与えている。 「いつも済まないね、パメラ」 「いえ。お気になさらず」  表情をまったく変えずそっけなく答えると、パメラはマーシャの部屋の片付けを開始した。剣の稽古の間、パメラがマーシャの部屋を掃除するのがいつもの慣わしだ。 「頼みましたわよ。……それから先生、先生が仰る剣士の気構えというものには感服いたしましたけど、せめてお顔だけははお洗いになってください」  と、ミネルヴァが眉をひそめつつ手鏡を差し出す。それを覗いたマーシャは、鏡の中の自分の頬に「接吻して!」という文字があるのを認める。先ほどまで下敷きにしていた書物のなかの台詞が、頬にくっきりと写っていたのだ。  マーシャが住んでいるのは、桜蓮荘(おうれんそう)という古い三階建ての石造りの建物の最上階である。凹の字型をしているその建物には、それなりに広い中庭がある。そこには石畳が敷き詰められており、剣術の稽古にはぴったりの場所だ。 では、ご準備を」  マーシャが井戸で顔を洗っている間に、ミネルヴァが稽古の準備を始める。まず試合用の面当て、そして肩口を覆う襟巻き型の首鎧と、指先まである厚手の金属製のガントレットを身に付けた。  一方のマーシャは防具を身につけず、ゆったりとした男物の白シャツに濃紺の七分丈スラックス、編み上げサンダルというきわめて楽な服装だ。別にミネルヴァを侮ってのことではない。感覚が鈍るというのが、マーシャが防具をつけぬ理由である。
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