雨音の向こう

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 夜の雨が好きだ。  日が暮れ、町を歩く人々が絶えた頃合いに、縁側に腰掛けて一人空をながめる。それが、いつの間にか彼の癖になっていた。すっかり年季の入った床板はよく手に馴染み、不思議と心を落ち着かせる。なんとも古い平屋で、あちこち雨漏りばかりするが、気付けば離れられぬまま、かれこれ何年も経ってしまっていた。  ざあざあと、雨粒がいよいよ屋根を強く打ち始め、彼は急いで洗い物を終えて縁側に出た。いつの間にか、夕方から降り始めた雨はすっかり土砂降りになっている。目の前が白く煙るほどの大雨に、彼はどこかほっとしたような表情を見せた。  雨は、それが大雨であればあるほど好きだった。逆に、晴れの日は何だか落ち着かない気分になる。そのため、晴れの日はイヤホンを耳に挿して、音楽を聴きながらぼうっとすることが多かった。音楽に飽きる頃には、すっかり眠気が来て、すぐに寝付くことができた。  雨は、ずっと降り続いている。最近多い局地的なものかと思っていたら、案外広範囲に渡って雲が厚いらしい。いったいどれだけの厚さだろうと思って空を見上げた途端、ふと何かが視界の奥に引っかかった。  人影、だろうか。しかしこんな真夜中に、誰かがいるとは思えない。ここは単なる住宅街で、夜中に誰かが出歩くような場所ではなかった。どうせ気のせいだと、彼は一人かぶりを振った。  ・・・・・・それなのに、なぜか妙に気になって仕方がなくて、彼はつい視線を大雨の向こうへやった。飛沫を上げて地面を打ち続ける雨の向こう側、白く煙るその先に、うっすらと真っ赤な傘が見えた気がした。  途端、地面から巻き上がるように、ざあっと雨粒混じりの強い風が吹いた。思わず左腕で顔を覆う。一瞬のち、雨樋の裂け目から滝のように雨水が流れ落ちる音が聞こえてきた。変に思って顔を上げると、いつの間にか、すっかり雨は小雨になっていた。  うそみたいに晴れた視界に、真っ赤な傘があざやかに映り込んでくる。人影は、どうやら女性のようだった。しとしとと雨が降る中、彼女は左手で傘を持ちながら、じっとただ上を見上げていた。雨の夜に上など見ても、見えるのは濁った空と落ちてくる雨粒くらいだろう。何も、面白いことなどないのに。
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