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レストランを出たのはもう十時を過ぎた頃だった。五時間も店にいたことになる。
先生は上機嫌な様子で俺の肩をポンと叩くと、恨めしげな顔で俺を見上げた。
「昔は俺と変わらなかったのに……」
「身長の事言ってます?」
ニヤリと笑うと先生は「フン!」と鼻を鳴らし、スケッチブックから画用紙一枚をビビビと破いた。
「これ、再会の記念にあげる」
それは運河の絵だった。運河の両脇には花が咲き乱れていて、橋から一人男性が釣り糸を垂らしている。画用紙の右下には先生のサイン。
「素敵ですね。ありがとうございます」
「うん。もらってくれたら嬉しいぞ」
先生は偉そうに肩をポンポンと叩いた。
「もう一枚くださいよ。さっき店で描いてくれた俺の絵」
「え? 絵?」
先生はクソくだらないダジャレに笑いながらスケッチブックをカバンへしまった。
「これはダメ。これはおいらのだから。司くんはそっちの絵で我慢しなさい」
「えええ~」
俺は更にオーバーリアクションをプラスしたダジャレで返した。
先生に描いてもらった俺自身の絵。正直欲しい。先生が俺を見て描いてくれたものだから。
先生に俺がどう見えているのか知りたかった。
でも、しかたがないよね。
「沖本さんのこの絵、大切にします。そうだ、絵のお礼と言ってはなんですが、これ。よかったらもらってください」
そう言って鞄から出したのは、『ブラックデビル・カフェバニラ』
沖本先生のお気に入りのタバコ。
俺が先生の後を追っかけたのは仕事だけじゃない。先生の香りも大人になってすぐに追いかけた。そして今も……結局俺は年齢や外見ばかりが大人なだけなんだ。
「ここでも売ってますけど」
この『ブラックデビル・カフェバニラ』の原産はオランダ。なんとも間抜けなお礼だ。でも、意気地なしで未練がましい俺の精一杯の自己主張だったのかもしれない。「僕はあなたをずっと追い続けています」と。
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