黄昏

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私がその店を訪れるのは、きまって、店にとって開店直後、つまり十六時時を過ぎたあたりである。 一般的なサラリーマンなどは、平日のこの時間に来れない。私は、交代勤務だ。平日にも休みがあるし、夕方上がりの日は十五時定時でタイムカードを切る。それで終わり。あとは自由だから、夕方のこの空いた時間に、この店を訪れることができた。 この日は休みだった。昼過ぎに風呂を済ませ、少ない私服を工夫して身につける。派手過ぎず、部屋着っぽくもなってはいけない。先に風呂を済ませたのは、酔いが過ぎて帰ってきた途端寝てしまっても大丈夫、というような、そういう保険であった。 私は支度を済ませ、愛用の鞄に文庫本を放り込む。酒にはいつも本であった。家飲みの際は、録画を観る事もある。漫画を読む事もある。何というか、名作と予感されるものには酒か、無ければ飯、お菓子。そういうものを用意して出迎える、変なこだわりがあった。店でなら専ら、文庫本を読む。 社員寮を出ると、ちょっとした坂道がある。会社に行くのは下の道だが、今日みたいな日は上の道を使った。下の道を通ると、今の時間なら帰宅する同僚とすれ違うかもしれない。一人居酒屋というのは、何となく、回数を重ねた今でも恥ずかしかった。 脇道に逸れる気もするが、私は知人に弱い。最初会った人、まだ関係を作りたての人とは多少うまく話せるのだが、関係のできた知人、友人には何故か気後れしてしまう。道端で出会う、外出先で出会うと最悪だ。気づいていない振りをしてやり過ごしたくなる。しかし、やり過ごしたらやり過ごしたで何とも後味が悪くて。向こうから「やあ、奇遇だね」と声をかけてくれれば、観念して、しかし晴れやかに返事が出来るのだが。この辺り、他人が感じないものを自分は特別に感じているらしい、と書くのは、自意識過剰というものだろうか。
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