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没落貴族の話は、終わった。次は何やかんやで、主人公が突然電車に轢かれ、あっさりと終わってしまう話である。最後にちょっとだけ、主人公の死をうけた友人達の反応が描写されている。ああ、こんなに人から想われて、幸せ者だなと思ったが、主人公が生きている間の彼らの言動に思い当たり、丁度いい不幸が舞い込んできたから、喜んでただ悲劇のヒーローを演じているだけかもしれぬと思いつくと、急に白々しくなった。
次の注文は、男の店員が伺ってきた。私は素知らぬ顔で麦酒と焼き鳥を注文した。
女性に神々しさ、気高さを求めるのは行き過ぎだろうか。人は、理想を求めるが、理想の中に生きられない。この、人生の途中で自殺した作家の作品に出て来る女性は、私の心を引き付けてやまない。男が毎回駄目なやつだから、余計憐れに思ってしまう。
しかし、或いは男の方がそうであるから、女性は自衛本能というか、自分の足でしっかり立たなければと気づいて、このように自立した素晴らしい女性に育つのであろうか。そこで思い浮かぶのは、故郷に住む両親の顔。やめよう、酒が不味くなる。
小説は舞台だ。いかに現実に似せて作られていようと、現実と混同してはいけない。焼き鳥を噛みながら、私はページをめくった。やはり、駄目な男がそこに現れた。今度は行きつけの居酒屋から金を盗んで来たようだ。それで、妻が右往左往。男の家には電気が灯らない。子供もいるが、屋内は荒れている。お金がない。全て男の仕業のようだ。妻は、健気にも夫を支える。惚れているのか、放っておけないだけか。それともそうするしかないのか。男はしかし、詩人だ。破滅的な詩人。大黒柱でいなければならないのに、妻の前で死にたい、死にたいという。妻の方は、それに向き合って返答する。およしなさい、とははねつけない、そうねぇ、そうかしら?と、どこか温かみのある、可愛らしい相づちだ。
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