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カウンターでは、毎日本を広げている。それが彼女の印象に残っているらしかった。
「そうでもないですよ」
私は、ちょっとだけ上機嫌になった。
「お酒を飲む時ぐらいしか、こういうものは開きませんから」
これは、ちょっと上手くできたと思った。
「でも、すごいですよ。私なんて」
私は、異様にデレデレしていたに違いない。普段の私を見ている人が見たら、何て思うか。女性の方も、笑っていた。さて、この笑みは、個人としてか、店員としてか。店員としてが妥当であり、それは責める所ではない。夢は、見た方が負けなのだ。
「お姉さんも、何か読まれるんですか?」
何か、会話を続けなければならぬと思った。
「”蝉時雨”なら、少々」
私は、その本のタイトルだけを知っていた。すこし前に、メディアで熱く取り上げられていた小説だ。彼女も恐らく、その時の流行りで読んだんだろうと、勝手に思い込んだ。
「でも、難しくって。その点、お客さんはすごいです」
彼女は、恐らく自分と違う。書物なんかに頼らずとも、人との縁で生きていける人だ。その思いが、彼女と、私との間に壁を作った。
「その作者ね」
一生懸命書けば、部分点が稼げるかもしれない。そんな変な食い下がりを試みた。
「読む小説が、私と似ているらしくって。母が言ってました。ほら、なんとかって賞も取られているでしょう」
「そうなんですか」
彼女は、聞いているのか聞いていないのか、事務的は相づちを私に打った。
「だったら、お客さんもそういう才能があるのかもしれませんね」
「まさか!」
私は、大袈裟にかぶりを振った。
その小説が売れていた頃、勝手に敵愾心を燃やして意地でも読まなかった事。口にできるはずがない。
「賞なんて、とてもとても」
彼女は、ふふと笑った。それで、彼女の気まぐれはお終い。私はしばらくたって、〆のご飯に玉子を掛けて、夢中で掻き込んだ。
煙草を取り出し、一本吸う。煙草はこういう時にしか吸わない。一ミリのメンソール。喫煙者から見れば、私のものはただの格好つけだ。
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