黛ましろ。 中立人間

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『どうして大学に入ったの?』 と改めて聞かれて、この質問にすぐに答えることのできる人は意外と少ないのではないかと思う。 『どうして人は殺しちゃいけないの?』と幼い子供に聞かれて答えることが難しいように。 人は往々にして、朝食にパンよりご飯を食べたい理由や今日塾にいきたくない理由など非常にささやかな言い訳の列挙に困らないくせに、大きな選択の理由を棚上げしてしまう。 しかし、僕、黛ましろはというと、知り合いから頻繁に「名前のとおり白黒はっきりしないやつだな」と言われるほど自分の意見をもっていない中立人間でありながら、この問にはすぐに答えられる。  流れだ、と。  真面目だけどちょっとお茶目なところがある地方公務員の父親と、たまのパートと家事の間に韓国ドラマを観るのが大好きな母親、そして飛びぬけた才能が塵一つない代わりに荒波一つない無難な人生を謳歌する一人息子という絵に描いたような現代家庭で育った僕は、ありがたいことに学費や生活費の心配をする必要がなかった。 だから何も考えずに人並みの小中高校生活を送り、そこそこに偏差値の高い大学の社会学部に入学した。  親の意見、高校のクラス担任の意見、世間の意見に流されて。  将来に何をしたいかなんてビジョンなど、全くなかった。 その道のプロになりたいと強く想うほどの夢もなかったし、父のように働いている自分の姿を想像できるわけでもなかった。 高校3年生の僕は、きっと大学生の間に答えを見つけてくれるだろうと未来の自分に期待していた。 だからこそ、「ジェンダーや経済、宗教までなんでも研究対象です!」という売り文句の、何をやっているかよくわからない学部に入ったのだと思う。  1年が経った。  やりたいこと、なりたい自分はまだ見つかっていない。  「・・・・・・」 お昼を挟んだ3限のまどろみの気配が溢れる教室を眺めながら、僕はあくびを一つかみ殺した。 
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