黛ましろ。 中立人間

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たるみきった大学生活に浸ってきた上級生は言わずもがな、大学受験が終わったあとの、何もしなくていいという解放感と何もすることがないという虚無感とに満ちあふれた自堕落な春休みを過ごしてきたピカピカの1年生の身体にも、90分という講義時間はどうしようもなく耐え難いようだ。 さっきから周りの学生がドミノ倒しのようにぱたぱたと机に突っ伏していく光景が絶えない。 他には、隣の学生と歓談する者あり、携帯ゲームをする者あり、ぼーっと瞑想をしている者あり。 150人近くいる受講生のなかで真面目に教授の話を聞いている人は、冗談抜きで両手で数えられるくらいしかいないだろう。  教壇では、パステルカラーのパーカーを着ていてくるくるの天然パーマという、いかにもサブカルっぽい30代の特任教授が、隠れキリシタンの文化から派生して現在に至る青森のキリスト教祭りについて唾を飛ばしながら熱心に語っている。 受講生のほとんどが自分の講義に興味をもっていないことを開き直るように、忘れ去るように。  かっくん。 また、目の前の席に座っている学生が小気味よい音が聞こえてきそうなほどに鮮やかに、机に突っ伏して夢の世界へ旅立っていった。 僕は、おそらく3年生であろうその人の背中に向かって、あなたの将来の夢はなんですかと無言で問いかける。 続いて壇上の天パ教授に向かって、あなたのなりたかったものは「今のあなた」ですかと無言で問いかける。 大学における僕の数少ない友人である公太郎であれば、小学生の頃にテレビドラマで観て以来ずっと憧れている弁護士になりたくて法学部に入ったと自信をもって答えるだろう。 利益度外視で人のために働きたいという夢をもって公務員の世界に飛び込んだ父であれば、役所仕事にぐちぐちと不満を言いながらも今の自分に誇りを持っていると自信をもって答えるだろう。 なりたい自分をはっきりともっている人はカッコよくて美しい。  僕も、前の席の3年生も、壇上の特任教授も、きっとそういう人たちに無性に憧れているのだ。 だけど、どうしたらいいかわからなくて困っているのだ。 なりたい自分を見つける方法なんて、数学のように答えや方程式があるわけではないから。 わからないから、考えないことにしているのだ。  結局のところ、大学生の大部分はそういう甘えの集合だ。 
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