春にありきたりで、ぴったりなこと

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一方で、大学には人がうんざりするほどいる。 その上、高校や中学で言うところの「クラス」というまとまった枠組みがなく、"英語ディスカッション"だとか、"第二外国語"だとか"基礎演習"とか、それぞれ異なるメンバーが集まる小規模な枠組みがいくつもあるので、顔見知りの人数とチャットアプリの「友達」の人数ばかりがやたらと増えていくものだ。 爽やかで人当たりのよいスポーツマンである公太郎は数えるまでもないだろうが、基本的に人間関係に奥手な僕でも現在の「友達」の数は50人近くいる。 高校時代から比べると大きな進歩だ。 しかし、大学のキャンパス内でたまたま会って「よっ」と挨拶するだけの人、「友達」として登録するだけして一度もメッセージを交わしたことのない人を本当に友達と言えるのかは怪しいところだ。 「歌の中で『100人で富士山登っておにぎり食べたい』って言ってるくらいだから、ご飯を一緒に食べるような間柄の人なんじゃないかな」 結局僕はそんな適当な結論を口にした。 公太郎は妙に納得してその太い眉毛を寄せて唸る。  「なるほど、そりゃあハードル高いな。 山登りが好きなやつじゃなきゃいけないもんなあ」 少々ずれている気がするが、まあきっと富士山登頂3時間の道程をともにしてくれる人じゃなければいけないということだろう。 僕には到底ムリなことだ。 公太郎とだって、1対1で3時間ずっと歩き続けることは苦痛なのではないか。 ということは、僕と公太郎は友達ではないということか。 いや、そんなはずはない、と思いたいような、思いたくないような・・・ ガツガツと、僕はもやもやした気分と一緒にカツ丼の残りをかきこむ。  やめだ、やめだ。 ただでさえ憂鬱なのに、これまで無視してきた哲学的な問に真面目に取り合っていたら気が滅入ってしまう。  僕は母の言いつけ通り米一粒残していないどんぶりを音高くテーブルに置き、公太郎と同じように学食をぐるりと見回しながら、彼がこんな話題を唐突に放り投げてきた理由に思いを馳せる。  さて、良くも悪くも中堅という言葉がお似合いのここ、私立黎明大学、そしてその学生食堂は今、厨房のパートのおばさんが過労死してしまわないかと心配になるほど混んでいる。 その原因は毎週火曜日30食限定のロコモコ丼ではないし、大学近くの飯処が集団食中毒事件を起こして一斉休業してしまったとかでもない。  
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