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がたん、ごとん。
私が乗り込むと、電車は待ちくたびれていたかのように発車した。
中には乗客が何人かーーしかし、どの人もどこかぼんやりした印象で、記憶に残らない。
「座ったらどうですか」
また、あの声だ。
書生姿の青年に促されて、私は彼の隣に腰を下ろした。
がたたん、ごとん。
それにしても、揺れる電車だ。
しばらくの沈黙の後、私はそっと口を開いた。
「あの、ここはどこか知っているかな」
青年はチラリとこちらを見ただけで答えなかった。
戸惑ったが、もう一度問いかける。
「すまない。不躾だったかな。私は安岡という者でーー」
と、名乗り掛けて気づいた。
そうだ、私の名は安岡。安岡浩二だ。
なぜ、こんなことを忘れていたんだ?
「地下鉄ですよ」
呆然としていたら、青年が素っ気なく答えた。
「え?」
「地下鉄です」
私は動揺から気持ちを切り替えられないまま、青年を見つめる。
青年は切れ長の瞳を私に向けて、三度言った。
「ですから、地下鉄ですよ。ああ、ほら。着いたようです」
青年はさっと立ち上がるとドアに向かった。
結局、ここがどこかもわからないまま、私も立ち上がり、彼の後を追いかける。
何も分からないというのは非常に不安で、唯一話が出来る青年から離れたくなかったのだ。
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