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資産家だった祖父は、この界隈にマンションを数棟所有していた。本来なら一人娘の俺の母親がすべて受け継ぐはずだったのだが、顧問弁護士だった長内さんの助言を受けて俺を養子にするための書類に判を付くとき、あの男の指は小刻みに震えていた。死期の近づいた病室で、土気色になってやせ細ってもなお、あの男は俺の名前すらまともに呼んだことはなかった。俺が、残されたこの財産に愛着を持てずにいる原因はきっとそこにある。
乳がんを患った母親が三年前に亡くなってから、産まれる前から俺のことを知っている長内さんは俺の後見人でもあって、十九で天涯孤独になった俺を心配して当初はちょくちょく様子を見に来てくれたりもしたのだが、社会貢献だの、この国の未来だのとつまらない事ばかりぬかすので解雇した。つい最近の事だ。それでも、俺が誰にも相談せずに、広すぎる最上階の部屋を放ったらかしにしたまま空きが出た七階の2DKに勝手に移ったと知った時は、あきれ顔でうちにすっ飛んできて現状を知るや否や、二時間近く小言を聞かせられた。
「一軒家の二階から一階に越すのと訳が違うんだぞ!」
理屈が分からなかった訳じゃない。自分の事もままならないような俺には、資産管理なんて無理なのだ。日に日に汚れていく広過ぎる部屋の中を、まるでジプシーのようにタブレットと毛布だけ持って、しゃがみこめるだけの空間を探して彷徨う毎日。祖父が嫌々残した莫大な遺産を、完全に持て余してしまっている俺。
「とにかく、業者を使ってでもここを片付けなさい。話はそれからだ。もう、子供じゃないんだから……」
長内さんはそう言った切りで、もう連絡はない。それをいいことに、俺も相変わらず最上階の部屋は放置したままにしている。
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