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それでもきちんと合わせることはなく、いつものように着崩れた姿に戻るだけだ。
水を絞り落とした裾には少し皺が寄ってしまっていて、そのままではだらしのないだろうと思いながらも口にすることはない。言ったところでその通りにするはずがない。
「おまえさん、誰かと瞳を合わせることを滅多にしないだろう?」
滅多にというよりほぼないに等しい。
「……だから何だ」
「やっぱりね。俺の目をじっくり見ていたのもそういう意味での珍しさも相まって、といったところか。てっきり見惚れてくれたのだと思っていたのに」
「五月蠅い」
あえて口にするところが相変わらず意地の悪い。
しかしいつものようにそれ以上嫌味で返してくることもなく、男は続けた。決して短くはない付き合いの中でも滅多に見ない表情をして。
「とてもとても大切な事を言うよ」
「何だ」
「仕事を遂行にあたっては、相手の瞳を見ないことには始まらない」
――――今、この男は何と言った。
「いいかい? 相手の瞳を見るんだ。真正面から。しかも、じいっと、ね」
みるみる唇が乾いていくのがわかった。
うまく声が出てこない。一瞬喉に何かが詰まった感覚が襲い、見えない何かを飲み込む。そうしてようやく声を押し出した。
「………無理だ」
「無理ではないよ」
「無理だ」
「大丈夫だよ」
「無理だ」
「いずれ慣れる」
「無理に決まっている」
あまりの衝撃に同じ台詞を繰り返し、顔を左右に振ることしかできない。
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