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棄て置かれた事実だけを気に病むような弱い考えでは、あの場所で生きていくには苦痛でしかないのだ。だから、意地でも―――
ぱしゃりとまた雫が落ちる。
「―――特別で在り続けなければならないんだ。なあ、おまえ」
「まぁたここにいたのか」
音もなく隣に誰かが立ったと同時に掛けられた声に、思考が寸断された。と同時に身体が固まった。
河を相手に「おまえ」と呼びかけていることは誰も知らない。知られる危険性すら心配する必要がないのだ。……ただひとりをのぞいては。
「眉間。皺が寄っているよ。また小難しい事を考えていたんじゃあないのかい? 考えても仕方がないような、どうでもいい事をね」
まるで幼子に諭すように続けられる声に、内心ひやりとしながらも余裕のため息を吐いた。
ちらりと目線だけで捉えた声の主は予想通りの男だ。
腰まである長い栗色の髪を肩の辺りでゆるくひとつにまとめている。
下品でない程度に着崩した濃紺の着物に金色の帯という出で立ち。足元は自分と同じく基本裸足でいることが多いのを知っている。
垂れがちな目元と薄い眉からは柔和な印象を与えるが、たった今発言したように嫌味を吐くことも多い。言い方だけは穏やかなままである事が尚更タチが悪い。
背丈や身体つきを含めて少年というよりは青年と呼ぶに相応しい外見ではある。
しかし実の年齢は知らない。というよりも、此処では何の意味も持たない。そして大して興味もないので知る必要もないと思っている。
ただ自分が知る限り、ずっとこの風貌でありこの姿だ。
ひと言で表すならば得体の知れない男。
ただし自身の年齢を知らないという意味では、心外ではあるものの同類である事は認める。
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