記憶鮮明

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「十和さん?」 突然呼びかけられた声はいつもの優しい響きじゃなかった。まるで怒っているみたいな声。 「そんな格好でウロチョロしたら危ないよ」 バサッと肩に掛けられたのは、赤坂くんが着ていた薄手のロングカーディガンだった。 赤坂くんの匂い。それだけで泣きそうになる。 パジャマ姿で飛び出したことに今さら気づいて、慌ててカーディガンの前を掻き合わせた。 「何があったか知らないけど、良かったらうちに来る? 僕、マンションを経営してるんだけど、空き部屋があるから泊まればいい」 夢の中の赤坂くんを知らなければ、こんな誘いに乗ることはなかっただろう。1回会っただけの男の人について行くなんて。 地下鉄に乗って赤坂くんのマンションに向かった。 赤いラインの入った銀色の車体。いつものドアの横に立って、窓に映る赤坂くんを見ていた。 赤坂くんと私を引き合わせたとき、宮島さんは私を恋人だとは言わなかった。 恋人なんかじゃなかったから。 でも、きっと赤坂くんはそう思ったはずだ。それなのに、彼は宮島さんに電話しようともしない。 先輩の恋人が夜中に外をパジャマでうろついていたら、とりあえず先輩に連絡するのが普通じゃないだろうか。 窓の外に映るもう一本の地下鉄は、まるでパラレルワールドのようだ。 そっくりな座席。そっくりな吊り革。そっくりな乗客たち。 そっくりな赤坂くんが何を考えているのか読み取ることは、私には不可能だった。 いつものホームに降り立ち、いつもの改札を抜け、いつもの地下通路を歩く。 A5の出口から地上に出ると、いつものビルが見えた。 コンビニの角を曲がって、薄気味悪いビジネスホテルの廃墟から目を逸らす。 急勾配の坂道を見上げて、思わず吐息を漏らした。 本当に何もかもが夢の中と同じだなんて。 「凄い坂でしょ? 足元、気を付けて。休み休み上ればいいから」 私の吐息の意味を誤解した赤坂くんは、申し訳なさそうに眉を下げた。 本当にパラレルワールドが存在するのかもしれない。 こっちの私は不幸の連続だけど、向こうの私は幸せいっぱい。 こっちの私は向こうの出来事を全部覚えているのに、向こうの私はこっちのことを何一つ覚えていない。 それは酷く不公平に思えた。 まるでこっちの私が向こうの私の分の不幸まで背負っているかのようだ。
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