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端的に言ってみっともない、あんまりな敵前逃亡だ。けれども他にやりようのひとつも思いつかず、とにもかくにも走りだした葵の背後で、「え、ええ!?」と、慌てたような声が響いた。
清冽な朝を切り裂いて響く、ぴんと張った声。
「え、ちょっと! ──え、マジで!? そういうことする!?」
する!? と言われても、してしまったものは仕方がない。というか、他にどういうやり方があったのか教えてほしい。あーもう! と叫んだ声がだいぶ遠くなった、と思った瞬間に、一気に背後から詰め寄るプレッシャーを感じた。
「──?」
「それは、なくない!?」
一息の間に、追いつかれる。全速力で走りながらでも震えることのない声に、見た目より余程鍛えている、と思った。想像していたよりもずっと。
「それは、ないでしょ! ……あーもう、わかった! 待って! 俺は、あんたを待ってたんだってば!!」
あんたを、待ってた。
それは、あまりに明確に、葵の逃げを咎める言葉だった。なんで、と、もう一度思った。天地がひっくり返りでもしないかぎり、あり得ないと思っていた。だって、そうでもしないと。
そうでもしないと、地上に落ちてなんて来ないだろう、と。
馬鹿みたいに、けれどもたしかに、葵はそう信じていたのだ。
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