198人が本棚に入れています
本棚に追加
そもそものはじまりは、二週間ほど前のことだった。
あのときはまだ桜が満開で、葵は舞い落ちる花びらの下を走っていた。早朝の道に人気はなく、葵の耳にはイヤホンから流れる音楽だけが届いていた。
だから、気が付かなかったのだ。
ふ、と、冬の名残を孕んだ風が、葵の脇を通り抜けた。春爛漫、とでも言うべき景色の中なのに、『冬の』としか言いようのない気配だった。
つめたく、乾いていて、澄み切っている。
一つの瞬きの後、風の正体は直ぐ知れた。同い年ぐらいの少年が、葵を追い抜いていったのだ。
男にしては長い黒髪が首のあたりで括られて、尻尾みたいに跳ねるのが見える。追い抜いた直後、彼はちらりとこちらに視線を流して、ぱっちりと大きな瞳に挑発するみたいな色を乗せた。
息が、止まるかと思った。
朝日を浴びてきらきらと白く輝く肌に、色づいて赤い小さな唇。漆黒の瞳はすこし潤んで煌めいて、有り体に言えば彼は、はっとするほどうつくしい顔をしていた。他人の美醜に思うところなどないと思っていたはずの葵があっさりと見惚れてしまうぐらいにうつくしい彼は、けれどもすぐに、その表情を以って、うつくしさをあっさりと凌駕した。
最初のコメントを投稿しよう!