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桜の朝
1
強く風が吹いて、最後の桜を散らしていった朝だった。
川沿いの遊歩道。真っ直ぐに伸びた道に沿って等間隔に植えられた桜の下に、ひとりの少年が佇んでいた。
早朝の道には他に誰の姿もなく、その瞳は真っ直ぐに葵を捉えている。
なんで、と。
思って、思わず足を止めていた。混乱していた。葵は彼のことを知っていたけれども、彼が葵を見つめる理由は、ただのひとつも思いつかなかった。
どうしていいか、わからなかった。
呆然と立ち尽くしていると、彼がすこし首を傾けるのが見えた。葵の反応を測るようにひとつ瞬いてそれから、彼はまるで、葵を安心させたがるみたいににっこり笑った。
もう、駄目だった。
は、と、喉から息が溢れた。一歩後ずさり、そのままぱっと踵を返す。思考の入り込む余地が無いまま駆け出した足は、頭よりも余程わかりやすく彼から遠ざかりたがっていた。
混乱していたのだ。
彼は明らかに、葵のことを待っていた。けれども葵の側には、彼に応える準備など、ひとつもできていなかったのだ。
想像もしていなかった。彼が葵に話しかけてくるなんて、天地がひっくり返リでもしない限りあり得ないと決め込んでいた。
だから、逃げた。
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