怠惰な日常

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怠惰な日常

 重なって混じり合ったざわめきが、店内のBGMをかき消す。  誰かの大声を飛び越えて、更に大きな声があがり、音の壁が分厚くなっていく。 「せめて残業が半分になりゃあな」  ジョッキに残ったビールを飲み干して叫んだ同僚は、顔が赤く、目も据わっていた。  飲み始めて一時間もすれば、くだを巻く酔っ払いが二人出来上がる。 「悪いもんは全部、半分になっちまえば良い。残業も通勤時間も上司の小言も半分、ついでに煙草も半額にしてほしいもんだな」  酔いに任せて、こちらもざっくりと答える。自身のグラスに視線を落とすが、既に空になっていた。  ここ数年、飲み会の後半は大抵こうだ。それぞれの不平不満をぶつけあい、鬱憤を発散した気になって、肩をいからせて帰る。そして翌日には、何事も無かった顔をして、スーツに袖を通すのだ。  営業マンとして二十年、ほとんどの時間を仕事に費やしてきた。壊れないように、曲がらないように、心の感度を下げて働き、たまに飲んだりしてガス抜きをする。その繰り返しだ。  自分を変えようと一念発起した事は何度かあったが、そのエネルギーは長くは続かず、なんとなく、日々を過ごしてきた。 「悪い事は全部半分に、か」  そんな事になる訳が無いから、こうなっているんだろうが。  金曜日だからと、少し深酒をやってしまった。残っている酒と、終電の揺れに任せて、心の中で毒づく。  出来るものならやってみろ。  停車に合わせて、ぐらりと傾いてぶつかってきた、同世代と思しきサラリーマンを睨み付ける。 「じゃあそうしましょうか?」  ホームに吐き出されていく人波のどれかが、そう呟いた。思わず振り向くが、声の主は既にいない。 「早速、明日からにする?」  スマートフォンを耳にあて、嬉しそうにした若いサラリーマンがそれに続く。  偶然か、それとも都合の良い台詞を耳に入れているだけか。夜中にやっているコントか何かの番組で、そういうのを見た事がある。全く別の会話がそれらしく繋がり、そこで生まれた齟齬で笑わせるのだ。 「はは。そんじゃあ宜しくお願いしますよっと」 「おっけー、楽しみにしてる!」  自嘲気味に漏らした独り言にも、後ろから返事があったものだから、俺はいよいよ気を良くした。  鼻歌交じりで、愛着の湧いてしまったワンルームを目指す。
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