序章

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一拍遅れて、島民達の熱い声援が飛んだ。 「抜かるなよ、刃坊!!」 「漁さんも頑張って!」 炭火の用意をしつつ片手を上げて応えていた漁だったが、ふと店の片隅から向けられる柔和な視線に気付き、口元に笑みを刻んだ。 「ふふん。今日の為に、この眼で選び抜いた最上級の『殻朶漓牛』……見るがいい!」 不敵な笑声と共に、島の特産である褐毛牛の肉の塊――秋任の腕の長さ程もある――が、調理台に勢い良く載せられる。 「ああ!程良くサシの入った極上な牛の背肉(サーロイン)!何とも艶やかで美しい!まさに殻朶漓の宝です!」 興奮気味に捲し立てる茉莉花の調子に気を良くしながら、秋任は鉄板に火を点けた。 「相手が串焼き屋だと知り、お前の得意な焼き物で勝負する事にしたのだ。光栄に思え」 「そいつは、どうも」 淡白に返事をする漁の手にも肉切り包丁が握られ、何かを捌き始めている。 手慣れた様子の素早い動きに引き付けられるまま――その食材を眼にした茉莉花の顔が、瞬時に青ざめた。 「ななっ、何ですかあ、その茶色いのっ!?」 光沢のある泥玉に四肢が生えたような奇妙な生物は、人の頭ほどの大きさをしている。 「底土蜥蜴(シハニトカゲ)だ」 「トカゲだと!?」 会場がざわつく中、漁は器用に捌いた蜥蜴の肉を一口大に切って竹串に刺すと、炭火で焼き始めた。 丁寧に皮を剥がれた身は淡い桜色をしており、一見すれば鶏肉と変わらない。 間を置かず、弾力的な身からじわりと滲み出た脂が、小気味よく弾けては滴り落ちる。肉の焼ける香ばしい匂いと相俟って、人々の聴覚と嗅覚を刺激した。 「はっ!蜥蜴の肉など殻朶漓牛の旨さとは比ぶるべくもない!勝負を棄てたか串焼き屋!」 秋任が嘲りつつ牛肉を焼き始めるなり、観客の関心もそちらへと移る。 だが一人、漁の調理を注視する少年が居た。 艶やかな濡れ羽色の髪に、勿忘草色の瞳。異国風に仕立てられた若葉色の長衣を纏った彼は、終始笑みを湛えながら、ひっそりと観戦している。 場内の熱気も退けるかのように、少年が纏う空気は静穏な清涼感を漂わせていた。 厚く切った肉を焼く傍ら、秋任はつけダレの準備に入る。 「渡来品の黒胡椒に、蓮華の蜂蜜と純米酒を少々。そして十矢權(ソヤカリ)島の醸造蔵から仕入れてきた『十矢(ソヤ)の溜まり醤油』!これで奥深い味わいの最高なタレに仕上がる!」 「副料理長!昨日、くそ忙しいのに店を放って居なくなったと思ったら――」
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