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その瞬間、僕は心底驚いた。 あっと上げそうになった声を口を抑えてなんとかこらえる。
窓の向こうに広がっていたのは、窓のこちら側の世界だった。 そして僕が見つめていたのは、僕自身の瞳だった。
黒いレースのカーテンでもかけたかのように色のトーンが暗くなった世界から、真ん丸に見開いた瞳が僕を見つめていた。 その光景は、ある意味絵画や写真よりも芸術的で示唆的で、またある意味小人のパレードより愉快で滑稽だった。
僕はそれ以来、地下鉄に乗るとどうしても窓に映る「もう一人の自分」のことが気になってしょうがなかった。
スマホゲームに熱中しているとき、ぼーっと考え事をしているとき、たまに彼を忘れることもある。 すると、思いがけず顔をあげた先に映る彼は、とても間抜けな顔をして僕を見返してくるのだった。
唐突に出会う彼は、人前に出すのがとても恥ずかしいような姿をしていた。 ポーズも顔も決めてない。 口はだらしなく半開きで目は虚ろ。 ひどいときにはよだれを垂らしている。
洗面所の鏡や姿見のように自分の姿を映す役割を期待されている鏡ではなくて、地下鉄の窓と地下世界の暗闇、人工物と自然現象のかけ算によって不意に生み出される「鏡」には、思いがけず素のままの自分が現れるのだった。
電車が次のホームに着くまでの、ごく短い間の関係。 しかし地下鉄に乗ってしまえば、喧嘩をしていても、一人になりたくてもついてまわる厄介な関係。
僕は、彼が間抜けな顔をしていると恥ずかしくなって、彼が泣きそうな顔をしていると慰めたくなる。 きっと、向こうの世界にいるちょっと黒い僕もそうなのだろう。
彼は僕で。 僕は彼だ。
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