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オーベルは顔をゆがめた。
「言っとくが、おれは殺ってないぜ」
「だから、それを今から聞いてやると言っとるんだ。おまえは夜中に一人で、ろうかをほっつき歩いて、何をしとった?」
「何って……おれも、そいつといっしょだよ。一人前の男があんな時間に寝られるかって」
メーファンは意地の悪い薄笑いをうかべた。
「おまえも本を借りに行ったとでも言うつもりか? そんなガラじゃなさそうだ」
「誰も本なんて言ってないだろ。寝られなかったんで、ちょいと裏庭に出て、ぶらぶらしてたんだ。半刻ほどだったかな。だから、あいつが言ってた、ろうかを歩く足音は、たぶん、おれが部屋に帰ったときのだろうな」
「ほんとに?」
「しつっこいな。だいたい、なんで、おれたち泊まり客が、たまたま一晩、泊まりあわせただけの男を殺さなけりゃならねえんだよ。おかしいだろ」
「殺されたのは裕福な身なりの男だ。金目当てじゃないのか?」
「じゃあ、おれの荷物、調べりゃいいだろ。なんなら、ここで脱いでやろうか? 盗んだ金、かくし持ってるかもしれないもんな?」
オーベルは威勢よくタンカを切って、服をぬぎだした。
品のよいジェイムズがあいだに入る。
「まあまあ。そこまでする必要はない。金や高価な宝石は、ちゃんとブロンテの荷物にあった。これは盗み目的ではなく、あきらかに怨恨による殺人だよ」
メーファンは嫌疑人に、そこまで話してやる必要はないのに、という顔をした。が、そこが、ジェイムズのジェイムズたる所以だ。
それでも、メーファンの目つきは、オーベルの疑いを解いていない。もっとも怪しい人物と目しているらしい。
たしかに、ワレスが役人でも、そう思う。
ブロンテの死体にあった、あの派手な装飾。あれは女の力でできる仕事ではない。あれだけ太った巨漢のブロンテを、ロープで持ちあげ梁につるす——かなりの力技だ。
男でも、老人のジョナサンや、半病人のティモシーにはできない。できるとしたら、ワレス、ジェイムズ、ショーン、オーベルの四人。ぎりぎりのところで、初老夫婦の夫くらいか。
そのうち、ワレスとジェイムズは除かれるから、残り三人のうち、誰かがやったことになる。
だが、今朝の驚嘆のしかたを見ると、ショーンは違うだろう。
ワレスは間近で見たから断言できる。あのときのショーンの驚愕は本物だった。
となると、残るはオーベルとサウディ。体力的に言っても、人柄からも、オーベルは怪しい。
ワレスは一日も早く事件が解決して、宿から解放されたかった。メーファンの信頼をいいことに口をだす。
「オーベル。あんたの部屋、かどをはさんでるが、死んだブロンテの隣室だよな? あれだけの仕掛けを死体に施すとなれば、けっこうな物音がしたはずだ。朝まで何も気づかなかったのか?」
昨夜、みんながそれぞれの部屋に入っていくところを見て、ワレスは客の部屋割りをおぼえていた。
ブロンテが北東のかど。
そのとなりがサウディ夫婦。この二部屋が東ろうかだ。
南ろうかには、老人とティルダ。
ワレスたちの泊まる西ろうかには、北側がワレスたち。南がカースティ。
問題のオーベルの部屋は、階段のある北ろうか。
ブロンテ側の東が、オーベル。
ワレスたちの部屋とのあいだがティモシーだ。
回廊をはさんだ、ワレスたちの部屋でさえ、物音が聞こえてきたくらいだ。隣室のオーベルが聞いてないはずはない。
オーベルはワレスの質問に、一瞬、言葉をつまらせた。
そして、気をとりなおすように、
「……おれは、寝てたんだよ。酔ってたから、よくわからねえ」
「夜中におれとすれちがったとき、そんなに酔ってるようには見えなかったがな。たしかに食事中、酒は飲んでいた。おれもあんたも、多少はアルコールが残っていた。だが、あのとき、あんたの足どりはしっかりしていた。半刻も庭を歩いて帰れば、なおさら酔いはさめるんじゃないか?」
このときのオーベルの顔を、どう表現したらいいだろう。
信じきっていた友人に、とつぜん裏切られた男の顔。
そう。たとえば、今ここで、ワレスがわけもなく平手打ちすれば、ジェイムズがするであろうような表情。
少なくとも、オーベルみたいなすれっからしの風来坊が、赤の他人に見せる顔ではない。
(変だな。こんなこと、つい最近にもあった)
ワレスが考えているうちに、オーベルは態勢をたてなおした。
「あのあと、飲みなおしたからな」
「どこでだ」と怒鳴ったのは、ワレスではない。メーファンだ。メーファンは先手で、オーベルの逃げ口上を封じる。
「言っとくが、裏門、表門には朝までカギがかけられていた。誰も夜のうちに、宿をぬけだせなかった。村の酒場へ行ったという言いわけはできんぞ」
オーベルは追いつめられたかに見える。
ふてくされた顔でだまりこむ。だが、とつぜん、ひらきなおって爆笑した。
「やんなるね。悪事はできないもんだ。こんなに、あっさりバレるとは思わなかった」
メーファンが緊張して、オーベルの肩に手をかける。
「やっぱり、おまえか」
オーベルはうるさそうに、その手をふりはらう。
「おれは殺してない。バレたってのは、酒の話でね。悪いなあ。あるじ。飲みたりなかったんで、厨房の酒、勝手にかっくらっちまった」
「ああッ」と悲鳴をあげて、ショーンが厨房へ走っていく。
帰ってきたときには、さすがに愛想は消しとんで、憤怒の形相になっていた。
「お客さん! やってくれましたね。よりによって、私が楽しみにとっておいた、とびっきりの地酒を……」
「わりぃ。わりぃ。金は払うって」
「めったに手に入らない幻の銘酒なんですよ。封も切らずに置いてたのに、それを丸々一本……」
「だから悪かったって」
ほんとに悪いと思ってるのかどうかは疑問だ。
しかし、そうなると、昨夜のオーベルの行動には、すべて説明がつく。
ワレスとすれちがったあと、オーベルは厨房へ歩いていった。裏庭を散歩したというのは嘘で、こっそり厨房の酒を飲み、酔っぱらって朝まで寝てしまった。
散歩と偽ったのは、酒代を払うつもりがなかったからだ。小悪党のこの男らしい行動である。
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