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熟睡できないうちに、朝が来た。
ジェイムズの声で目ざめる。
「おはよう。ワレサ。今日も旅日和だぞ」
「……あんたはいいな。能天気で。おれはよく寝られなかった。なんだか夜通し、うるさくなかったか?」
「そうだったか? 君は昔の知りあいに会うから、神経がたかぶってるんじゃないか?」
「そうじゃない。あんたが無神経すぎるんだ。誰かが夜逃げでもキメてたんじゃないかってほどの騒音だった」
「まあ、すんだことさ。今日はまず湖畔へもどり、それから南下したほうがいいだろうな。大きな道のほうが迷わない」
つかのま、ワレスはジェイムズのおおらかさを、枕に顔をうずめて罵った。
ジェイムズは容赦ない。
「さあ、出発しよう。片道、四、五日なら、今日あたり到着だろう? ワレサ」
ワレスはあきらめて、枕から顔をあげる。
「前から言おうと思ってたんだが、その呼びかた、やめてくれないか。おれは昔の名前はすてたんだ」
「でも、私にとっては、君は学生時代からの友人のワレサレスなわけで……」
「ワレス。そう呼べないなら、皇都へ帰れ」
「……わかったよ」
ジェイムズは叱られた子犬みたいな悲しげな目つきになった。
朝から、しんきくさい——と思っていたとき。
悲鳴が聞こえた。
急いで、ろうかへ出る。
ほかの部屋のドアも次々ひらいた。泊まり客たちが競うように顔をだす。
「どうしたんだ?」
「何かあったのか?」
口々に言いつつ、回廊の手すりをかこむ。
ワレスも手すりのところから、あたりを見まわした。
そして、気づいた。
向かいのブロンテの部屋だけ、いつまでたっても誰も出てこない。
「ジェイムズ。あの部屋だ」
「ああ」
ジェイムズと二人で、ブロンテの部屋の戸口までかけつける。
ドアは半びらきになっていた。
入口に宿のあるじが尻もちをついて、すわりこんでいる。
「おい。どうした?」
話しかけるが、あるじは室内を指さすばかりだ。
その指のさきを目で追っていく。なるほど。これは素人では、声も出なくなるはずだ。
ブロンテが死んでいる。
それも、ただ死んでいるのではない。とても妙なカッコで死んでいる。
全裸なのは、まあ、よしとしよう。服をぬいで寝るクセの人間もいるだろう。
それにしても、脂肪のだぶついた体に何本もロープが巻きついている。そのロープで、天井の梁から中途半端につりさげられていた。なさけない、あやつり人形だ。
首にもロープがからんでる。だが、そのせいで死んだのかどうかは定かでない。というのも、左胸にはナイフが突き刺さっていたからだ。出血があまりないのは、刃が見えないほど深く刺さった凶器がフタになったからだろう。
ワレスが死体を見なれている。しかし、これほど個性的なのは、さすがに初めてだ。
圧倒されていると、背後で口笛が聞こえた。あのチンピラ風の男が、うしろに立っている。
「こりゃまた、派手にやったな」と言って、ワレスの肩をたたくのは、なんだというのか?
ワレスは男を無視して、あるじをふりかえった。
「役人を呼ぶしかないな。どう見ても手遅れだ」
あるじは腰をぬかしていた。が、何度もうなずいて、ひざをガクガクさせながら立ちあがった。
戸口のチェストの上に置かれた盆をつかんでかけだす。盆には水差しとコップがのっていた。
勝手に犯行現場のものを持ちだすのは、よくないのではないだろうか。
でも、まあ、おれには関係ない。
あまり良心的ではない市民のワレスは、犯行現場の保存にも、事件の解決にも興味がない。
宿のあるじの混乱した行動を見逃したうえ、さらにはジェイムズに対して、こう提言した。
「役人が来る前に発ってしまおう。まきこまれると面倒だ」
だが、ジェイムズは、ワレスの不誠実を補ってあまりあるほど模範的な市民である。しかも、ジェイムズ自身、役所側の人間だ。
「それはいけない。人が殺されたんだ。私たちも調べに協力しよう」
「ああ……」
この「ああ」は、ああ、納得したの意味ではない。詠嘆の「ああ」だ。
(クソ。こんなやつ、つれてくるんじゃなかった)
ワレスは頭をかかえて、後悔の声をしぼりだした。
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