亡き王女のための夜光祭

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 「喋るな!」とラシヴェルは叫んだが、リンクルにはもはや喋る力も時間も残ってはいなかった。  こちらにその手を伸ばし、口をぱくぱくさせているリンクルが何かを訴えようとしているのを見て、ラシヴェルは妖精を乗せた手のひらを顔の近くまで上げた。  初めは何かを喋ろうとしているのかと思ったが、十年を連れ添った二人は、互いの目を見れば何を求めているのかわかった。  ラシヴェルはリンクルに耳を近づけるのではなく、口を近づける。  涙で霞んだ視界の向こうで、リンクルが、嬉しそうに上半身を起こした。  土煙で汚れた口元にリンクルの手が触れ、次に柔らかいようなくすぐったいような、だがとても温かい感触がラシヴェルの下唇を優しく撫でた。  何事か呟いたが、聞き取れなかった。  それ以上答える事なく、リンクルは静かにラシヴェルの手の上にその身を横たえる。  ふ、と最後に小さく息をついたきり、リンクルは動かなくなった。 「…………」  息を引き取ったリンクルの頭を指先で撫で、ラシヴェルはその小さな身体を掻き抱いた。  自分が体温を与えても、もうリンクルの身体は冷えていくばかりだ。  魔界を迷い込んだその日から、脱出したその日まで。  魔物達と戦い、石に齧り付いてでも生き延びた十年間を片時も離れる事無く過ごしてきた妖精リンクルとの別れは、あまりに唐突だった。 『……興醒めです』   エッケザックスを肩に乗せ、その始終を見ていたリューナの声が虚ろに響く。 『十年、ですか? なるほど人を腐らせるには十分な時間だったようですね。あなたはその様に弱い男ではなかった』  なるほど、同じ脳が記憶したラシヴェルの姿でも、元の清らかな王女の魂と、人々の怨嗟が混じり合った獣の魂が見るのでは受ける印象も違うのだろう。  どこか他人事に考えながら、ラシヴェルは完全に脱力したリンクルを胸に抱き締め続けた。  言い返しも睨み返しもしないラシヴェルに心底失望したのか、リューナは深い溜め息と共にエッケザックスを構えた。 『さようなら、ラシヴェル。空腹はあなたの血で満たす事にします』  妖精の細い首を落とす事無く、苦しみを与える為に動脈だけ切り裂く程の神話の武錬は確実にラシヴェルの心臓を串刺しにするだろう。  もはや抗う気力も無いのを認め、リューナは抱きしめたリンクル共々ラシヴェルの左胸を突き穿つ一撃を繰り出した。
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